【それでも前へ進まねばならない】
第6回映画批評月間でやたらと評判の高いラリユー兄弟新作『ジムの物語』を観て来た。一見するとシネスイッチ銀座やヒューマントラストシネマ有楽町で上映されている何の変哲もないヒューマンドラマに見えるのだが、かなり高度な作劇に支えられている一本であった。
エメリックはひょんなことから2年間投獄される。ようやく出所し、かつての仕事仲間フロランスと再会する。彼女は妊娠しているが男に去られたようだ。可哀想だからと、彼女に寄り添い、生まれた子ジムの父として振る舞うがある日、実の父であるクリストフが現れ、ジムを連れてカナダへと渡る。エメリックは新しい女と関係を結ぶも、彼女は子どもを必要としていない。ジムと疎遠となり数年、彼がエメリックに会いにやってくる。
タイトルに反して本作は徹底してジム周辺の大人たちを描いていく。大人たちは身勝手で情けない。それがジムを引き篭もりにさせる要因となっているわけだが、ジムの目線を排除し、時間の跳躍で残酷に事象を描いていくため、終盤におけるエメリックとジムとの間に流れるヒリついた質感が際立つ。引き算による映画だとわかる。
全体的にコミュニケーションの映画なため、映画的なショットは希薄に思えるも、満を持して登場する登山シーンがこの物足りなさを補う作りになっているのも好感が持てる。エメリックとジムは共に登山をする。一歩、一歩、難所を共に乗り越えていくのだが、途中で関係が決裂し、ジムが先に行ってしまう。エメリックはヒヤッとする足取りで一歩ずつ前へ前へ進んで、孤独に難所を超えていくのだ。フリーターとして情けなく生きて来たエメリックだが、それでも前へ進まねばならない様がこの登山に象徴されている。そして絶景が対位法としてエメリックの人生を残酷なものとして強調するのだ。この技法は成瀬巳喜男『乱れ雲』に近いものがあった。