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チャンスのsiloのレビュー・感想・評価

チャンス(1979年製作の映画)
4.4
ストレンジラブを演じたピーター・セラーズと「ハロルドとモード」のハル・アシュビー
今の今まで消化不良だった作品

屋敷の外の世界を知らず、生まれてこのかたTVと共に過ごしてきた高齢の庭師チャンス。世間知らずを通り越し、とことん未成熟な彼は、偶然につぐ偶然を重ね、人々の関心を集め始める。そしてアメリカの誰もがその風変わりな存在に惹かれ一目置く様になっていく。


終始すっとぼけた様で知的なユーモアに溢れた本作は、ニーチェのツァラトゥストラはかく語りきをストーリーの根底に据えているらしく、物語のラストの、人々の信頼と希望を勝ち取り、それらの信仰の類いがチャンスを実際に神話、或いは超人にならしめてしまったというなんとも不思議な幕切れは凄いとしかいいようがなく、映画表現の面白さも多分に感じる。非日常の要素を入れるのが上手いというか。そして勿論、そうしたユーモアは神を示唆した原題からも伺える。


何の脈絡や狙いもないのに人々の関心を集めるチャンスは、誰にでもその人が言って欲しいことを言い、又は適当な発言をしても、巡り巡って鋭い、或いは的確と認識される。
彼を使って監督が何を描きたかったのかは映画の後半部で明確化したと思う。
TVが大好きでTVをいつも凝視している彼が揺らされた時、スクリーン上にあからさまにブラウン管が揺れた時に現れるノイズが走る。
皆の関心、即ち視聴率を一手に集めるTVが、日々衝撃的な映像やニュースをそれっぽい言葉で描写し、人心を巧みに捉えているとすれば、チャンスの姿はそれに重なるし、そこに加えられた彼の無自覚、無垢な性格な分、より笑いと共に風刺が際立つ。


チャンス=TVの比喩だとすれば、彼をその適当な発言でアメリカを掻き混ぜ、盲目的な信頼を勝ち取る姿に描く辺り、かなりユーモラスにTVメディアへの冷ややかな視線を表していると感じた。また終いにはそんな彼をアメリカ故かイエス・キリストの神話に準え、ニーチェの超人にしてしまう、即ち複合的なストーリーライン(喜劇、TVメディア、神話)を何とも静かに、鋭く知己に富んだ形で纏める様には、圧倒された。
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