[イリミアーシュ不在の"サタンタンゴ"] 70点
2024年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。アティナ・ラシェル・ツァンガリ長編四作目。ジム・クレイスによる同名小説の映画化作品。舞台は17世紀イギリス、マスター・ケントを中心としたコミュニティが海に面した忘れられた土地に暮らしていた。主人公ウォルターはケントの乳兄弟であり、今では右腕的な存在だが、基本的に怪我をしたり気絶していたり発言しなかったりと役に立たない傍観者である。ケントにカリスマ性があるわけでもないので、村人たちもケントを絶妙に舐めてる感じがあり、それでも何も起こらないので平和な時間が流れていた。ある日、ケント所有の納屋が焼失し、誰も責任を取りたくないと思っていた矢先、村に三人の部外者が海辺に上陸したため、三人を放火犯として捕え、男二人を磔に、女を追放した。ウォルターは村人で唯一この三人に気を掛けながら、ケントの雇った地図職人アール氏と共に土地を周り、彼と一緒に様々な物に体系的な名前を与えていった。そんなある日、ケントには土地の相続権がなく、本当の相続者である彼の従兄弟ジョーダンが土地にやって来る。彼はこの土地を金になる産業を呼び込みたく、そのためには村人たちが邪魔だった云々。大きく分けて三つのテーマがあり、一つは上記の通りゼノフォビアである。この地で生まれ育ったわけではないウォルターが常々感じていたことが、三人の上陸者たちやアール氏への対応で表出していくのだ。二つ目は巨大経済流入による既存コミュニティの破壊である。本作品における村人たちはほぼ自我のない存在で(ある意味で『独裁者たちのとき』における群衆にも近い)、だからこそ影響されやすく、結果的に自らの意思として為政者に一番有利になることをする、つまり土地を離れていく。三つ目は、宗教者の不在、神の不在である。本作品はある意味でイリミアーシュ不在の『サタンタンゴ』である。同作における語り部である飲んだくれの医師もウォルター同様現場には不在で土地に残り続けた。また、頼れる指導者がいないからこそ、村人たちは羊のように追い立てられる方へと集団で逃げていくだけで、全ての登場人物が全ての選択肢を外し続けて次の行動すらも読めない不安定な物語が完成している。実に奇妙な映画だ…けど、ツァンガリっぽさってどこかにあったっけ…?