グラノーラ夜盗虫

プリティ・ベビーのグラノーラ夜盗虫のレビュー・感想・評価

プリティ・ベビー(1978年製作の映画)
3.5
売春は、いろんな文学作品や映画でも取り上げられてきたもの。
「売春」ということばをきいて私が最初に思い出すのは、12歳のブルック・シールズがうんと美しい「プリティ・ベビー」という映画(大好きなルイ・マルの監督作品)と、デュマの「椿姫」。

「プリティ・ベビー」は、6年まえくらいに観たのに、まだまだくっきりと記憶に残っている映画。売春婦の子どもとして売春宿に生まれた、ブルックシールズ演じる主人公は、例外なく彼女の12歳の誕生日に客に体を売ることになる。はじめての「出勤」のために、彼女はうんと丁寧に化粧を施され、繊細なレースがあしらわれたドレスを着せられる。彼女の「水揚げ」は競りにかけられて、400ドルで小太りの男性がその権利を手にいれる。すべての「仕事」が終わったあとの彼女の、いやに大人びた表情がいまでも忘れられないくらい印象的だった。

「売春婦」ということばは、誘拐や人身売買、貧困によって性を売ることを「強制され」たの女性という(おもに発展途上国のイメージを伴う)「被害者」像と、「椿姫」のように「自発的に」じぶんの性を「商品として」売る「entrepreneur」像と、相反した像をあわせもっている。だからこそセックスワークを合法化するべきか否かという議論は終わることがないのだ。
「プリティ・ベビー」のヒロインは、自分からそれ選んだわけでもなく、売春というものが日常である環境に育ったゆえそれを拒否することもない。どちらにも属さない「売春婦」、という意味で、「売春」について考えるうえで面白い立ち位置にいると思いました。