【ゆるふわの追悼】
山田尚子監督の『きみの色』は、劇場行くのを二の足ふみ中。が、2年前のこの短編は配信されていると知り、見てみた。U-NEXTにて。
“ゆるふわなシリアス”…動きは心地よく目に優しく、ときどき耳へ刃。しかし心にはまるで刺さらなかった。結局は曖昧過ぎるし、力が向かう先らしきものに共感できない。
タイトル“Remembrance”には追悼の意味があり、挿入歌に依れば…歌詞に言葉をすべて込めちゃっているが…本作は“死別”を扱っている。
女の子「きみ」のグリーフワークらしい。しかし、それは人により様々なかたちがあろうけど…こうまでゆるふわに見せられると、なんか、ゆとり…と感じて醒めてしまう。
音楽でシリアスに語ろうとしても、表層を包む美術力が覆ってしまい、ドロ沼を避けているように映る。
展開は結論を出さぬよう装い、時系列は逆転するよう見せつつ…そうでもなく、ループらしくもある。
歌詞としては強い言葉“今なら言えるよ○○○○、○○○○”もズルイ使い方に響く。何だかもやんとしている。
「きみ」の喪失感は、実は根拠がない“人間死んだら終わり”が前提らしい。だから彼女が、忘れかけたある人を…やっぱり忘れないぞゼッタイ!とリスタートするのもわかるけれど…ゆるふわじゃあなあ…。
主体的に動けなくなった故人に代わり、してあげられることは広く深いから…独りで嘆いている場合じゃない、と自分なら振り返る。今後に積み上げる原因で先々、どういう縁で再会できるかわからないのだから…大切な人ならそんな妄想してないで、行動おこせよと思ってしまう。
記憶も追憶も大事だが、より大切なことがある。これでは「きみ」独りの自己満足で閉じていて、だからもう一人登場する「おさななじみ」の存在なんて、どうでもよくなってしまう。
山田尚子監督自身のグリーフワークを込めたのか?という疑問も当然、湧く。京アニ放火事件で多くの仲間を失っただろうし、あの犯人が“エア・ストーキング”していた相手は山田監督らしいから複雑な想いだったことでしょう。…が、そういった推測を、本作は受け入れる器にはなっていない。
新作なのに、何故ここまでリサイクル感に満ちているんだろう?その落とし穴に、むしろ興味が湧く。
<2024.9.13記>