Rin

今日の空が一番好き、とまだ言えない僕はのRinのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

繊細な自分を守ることは冷笑的な見下しや冷酷な無関心と紙一重である──東京国際映画祭2024コンペ。半年前に祖母を亡くした小西(萩原利久)は唯一の友達の山根(黒崎煌代)と駄弁るばかりのパッとしない大学生活を送っている。小西は学食で見かけた桜田(河合優美)が気になり、勇気をだして声をかけてみると意気投合、一緒に授業に出たりご飯を食べに行ったりするうちに、小西はエキセントリックな桜田に惹かれていく。そんな中、小西の世界との関わり方を揺るがすような事件が起こる。

大九明子監督作品はついこの間観た『勝手にふるえてろ』と合わせて人生2本目。同作は“自らが普通ではないことを意識し過ぎるあまり世界を拒絶していた人物が思いのほか普通な自分に気付き世界を迎え入れなおす”物語だったが、今作も同様のテーマが扱われているため、大九監督自身が常に関心を持っているテーマなのではないかと思う。結論としては、相当変だけどめちゃくちゃ面白い作品だった。私、この人の作品好きだ。

小西と桜田はどちらも、世界に対してひとよりも繊細な自分を強く自覚している人物である。これは、教室で小西が桜田に初めて話しかけるシーンで教授がHSP(Highly Sensitive Person)について講義していることからも明白である。人が自らの柔らかい部分に容易く踏み込まれないために取る選択としてはふたつ、距離を置くことと武装することだ。小西は山根とグラウンドを見下ろす丘の上で昼食を取り、芝生の上で青春を謳歌する学生たちに引け目を感じている。桜田も学生の輪に入らずいつもひとりでざるそば(学食にあるの珍しい)を食べている。小西と桜田は人目を避けて裏道を使っており、このことはふたりが意気投合するきっかけのひとつになっている。またふたりは学校のチャイムの音量が大きすぎると感じており、件の丘に登ってチャイムを聞いた時は「このくらいがちょうど良い」と意見を一致させる。武装の身振りは、小西の差す傘と桜田のお団子スタイルの髪にアイテムとして表れている。

丘とグラウンドの位置関係や傘とお団子がふたりの頭上にあることが雄弁に物語っているのだが、世界に対する不干渉と武装はある意味で冷笑的な「見下し」と紙一重であり、その危うさをこれでもかと深掘っていくところが本作の特別な部分だと思う。大学のそばにはおかしなネーミングのメニューばかり置いているカフェがあるのだが、オムライスだけはそのままのネーミングで、ふたりはその理由が何なのかと勘ぐる。これは後に店主の“武装”であったことが判明する仕掛けになっているが、当初ふたりは店主と仲がいいわけでもないため訊いてみることができないままだ。桜田はそのことについて「安全地帯からクスクス笑っている今の状況が一番問題だ」と小西に話し、意図してか意図せずしてか、いずれにしても前述の冷笑的な見下しの目線(特に小西の側に顕著なのだが)を的確に言い当ててしまう。まるでその発言がトリガーを引いたかのように、小西はバイト仲間のさっちゃんから好意を告白され、同時に自分が彼女に対していかに冷酷な無関心であったかを突きつけられる。その後、さっちゃんが交通事故で急死することで物語は急展開を迎えるのだが、ここについてはさすがにバランスが崩れてしまったような印象があった。何も殺さなくてもいいだろうに、というか伊東蒼さんはまたも車に轢かれて亡くなってしまうんかと。おそらく原作にもある展開で(未読です)、オミットしたり別のエピソードに差し替えるとあまりにも改変が過ぎるという事情もあったのではないかと想像する。ただ、この展開は小西が犬のマネをして桜田とじゃれた後に彼女の目尻のシワをなぞるという“接近”と桜田がトレードマークのお団子をやめるという“武装解除”の舞台として使われており、物語上の必要性をきちんと持たせるあたり大九監督非常にうまい。

何の前触れもなく特殊な編集を挿入する特徴は本作でも健在で、本作では突然スプリットスクリーンになったり台詞の末尾にエコーがかかったりする。だが、そういった演出は単に奇を衒ったものではないはずだ。大九監督が私が勝手に定義したとおり“自らが普通ではないことを意識し過ぎるあまり世界を拒絶していた人物が思いのほか普通な自分に気付き世界を迎え入れなおす”物語を描こうとしているのであれば、映画自体を“普通ではない”見た目にするのは自然な振る舞いだからだ。

このように、本作は少しばかり丁寧すぎるように思われるほどの仔細な演出の積み重ねによって、繊細であることを肯定しながら閉じこもることの危険性、換言すれば暴力性を描いてみせる。QAセッションでも観客からキャリア最高傑作とのコメントが出ていたが、その通りかもしれない(私は鑑賞本数が少ないので比較できないんだけど)。余談だけど、私は昨年公開された『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』という作品がどうも苦手で、聖域の中に閉じこもることを美化しすぎている(わりに主人公の七森が暴力の胞子を撒き散らしているように見える)ことに違和感を覚えていたので、本作を『ぬいしゃべ』の完璧なアップデートとして勝手に受け止めて都合よく満足した。

ちなみに、原作ではこの後にふたりの将来について描かれているらしいのだが、QAセッションで大九監督は、その部分は自ら原作者のジャルジャル福徳さんに会って説明し同意を得た上でカットし、その代わり「人を傷つけた人間として一生生きていくよ、俺は」という小西の台詞を追加したと仰っていた。「一言でいうと、私はついていけないと思った」とのこと(原作未読なので想像だが、おそらくふたりがさっちゃんの死と地続きでないような未来を生きてしまうことに対しての発言だったのだろう)。また、原作は少年の視点だけで描かれるボーイ・ミーツ・ガールだが、ガール側にも人生の輝きがあるためそのまま映画にはできないと思い桜田の描写を増幅させたとも仰っていた。原作を読んでなくてもわかる絶対に正しい判断。

だらだらと書きすぎているが、面白かった点をもう2つだけ。

1点目、人力舎の養成所に通ってピン芸人として活動していたという珍しい経歴の賜物か、大九監督は言葉選びとあるある切り取り力にも長けている。例えば、小西と桜田が「こんな授業、ふたりで抜けだしちゃわない?」的ムーブをかます授業が「哲学概論A」で、めちゃくちゃ般教感のあるリアルな授業名(てか普通に母校の大学にもあった)で素晴らしすぎる。本作の舞台は関西大学らしいが、実際に関西大学のシラバスから選んだりしたんだろうか。ふたりは授業を抜けだして「やってやりました」とか言って楽しそうにしていたが、哲学の授業はちゃんと聴いたら面白いんだから抜けだしちゃダメ!

2点目、小西とさっちゃんは銭湯でバイトしているのだが、店主を古田新太、お姉さんスタッフを松本穂香が演じており、吉田恵輔『空白』と中川龍太郎『わたしは光をにぎっている』を同時に連想させる日本映画ごちゃまぜ空間になっていて面白かった。
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