このレビューはネタバレを含みます
【決着は夢の中で】
第37回東京国際映画祭が開幕した。初日はコンペティション部門に選出された『アディオス・アミーゴ』を観た。監督のことは全く知らず、内容もマカロニ・ウエスタンと聞いてあまり期待していなかったのだが、これが想像以上に素晴らしい一本であった。
男が追われている。叢に身を潜め、敵をやり過ごすとにかっと笑みを溢す。緊張感を保ちつつ、道中を歩いていると人影に気づき、凝視をする中で捕まってしまう。弱肉強食、いつ死ぬか分からない世界では、捕える者/捕えられる者の間で流れる時間は長い。カメラは双方の息遣いを捉えているのだが、そこへ移動式カメラ屋の青年が通りかかる。興味半分で、捕える者たちが、捕えた者と一緒に写真を撮ることとなる。銃を向け、英雄譚を画に収めようとする中で、刹那の隙を狙い男は血祭りに上げる。
セルジオ・レオーネ的間延びした時間がここまで理論的に活用されている例は少ないだろう。生死の彼岸に立つ者の間で流れる時間を、写真撮影における待機時間に転嫁させ、決定的瞬間の訪れを盛り上げていくのだ。
本作は、ジャンル映画でありながらこのように理論を練り上げていく他、新規性のある画を構築していくところも注目である。村において、司祭軍団と写真家一味が決闘する場面がある。おじいさんが「不吉な気配がする」と事前に語る。司祭軍団が松明を放り投げるも、それをおじいさんの銃弾で無効化。一触即発の中、写真家の撮影によって決闘の瞬間を捉えることとなる。今度は女対女である。決着はつく。すると曇天へ豹変し雨が降るものの、その曇天に虹が紛れ込み、土煙舞う画が捉えられる。幸運も不運も共存した世界を象徴するような画となっているのだ。
人間的リアルさを持った時間の中で、運命という魔法が絡んでいく中で、『続・夕陽のガンマン』と同じ構図をラストに持っていく。このアレンジに惹きこまれた。3人の男が決闘をするのだが、その場所はドラッグによって転送された虚構的空間なのだ。この世界には、魔法の土のようなものが存在しており、それを吸引すると即座にモノクロームの世界へと転送されてしまう。3人がその空間の中で決闘し、誰が先に目を覚ますのかへと発展していく。単なるオマージュではなく、マジック・リアリズムを絡めた異次元決闘へと持ち込む演出の妙に感動した。
確かに、音楽は大げさで過剰な問題はあるのだが、個人的に好感しかない作品である。