夜光虫

秋が来るときの夜光虫のレビュー・感想・評価

秋が来るとき(2024年製作の映画)
4.3
『8月の鯨』のような、老女たちの穏やかな日常が描かれるのかと思えばさにあらず。短い時間に老いと孤独、人生への悔悟、さまざまなエッセンスが散りばめられた良作である。オゾン監督の作品は、初見が『8人の女たち』であった。これはサスペンスコメディとして完成度が高かったが、その後の『ぼくを葬る』は脚本の作り込みの甘さや心理描写の稚拙さが目立ち、あまり好きになれなかった。しかし、作品を追うごとにどんどん脚本が良くなっていくのである。本作は、ついにここまで優れた作品を撮るようになったのかと、まことに僭越ながら感心した。

以下、ネタバレを含みます。






私自身はrebornの物語、という印象を強く抱いた。主人公はすでに老境にある女性である。自身の過去ゆえに拗れてしまった娘との関係は立て直せそうにない。孫と顔を合わせることも叶わず、失意のうちに人生の終わりを迎えるしかなさそうな閉塞感。友人の女性もひとり息子はグレて刑務所行き、更生など期待できない。そんな人生の悔悟が、ある事件をきっかけに変化する。主人公はそこから人生を取り戻したのである。娘とは築き上げることが叶わなかった関係性を、孫と、そして友人の息子と築くことで、生まれ変わった=reborn、と捉えた。
さて、すべてが変わることになったあの事件の真相とは。映画の中では一切明示的に描かれないが、◯ヴァンサンはなぜパリへ向かい彼女の娘と会ったのか?◯ヴァンサンの開店資金を出したのはなぜなのか?◯事件の前後で誰がいちばん得をしたか?◯主人公がスマホの所在地に言及したのはなぜか?◯警察への匿名の告発をしたのは誰か?真相を知りうる立場にあったのは誰か?
回答はないが、何となくの推論はできるのでないだろうか。
さて、オゾン監督はオープンゲイであり、過去作品にはゲイを題材としたものが多かった。本作ではどうだろうか。これもまた明示的には描かれないが、匂わせは確かに存在する。その辺りを邪推すると、オゾン監督が本当に描きたかったのは、世代を超えてのゲイとしてのrebornの物語と見ることもできるだろう。登場する女性たちは警察官を除き皆亡くなってしまったが、男性は全員生き残っているのである。
女の強さを描いた点では、アルモドバル作品にも通じるものが感じられた。
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