怒れる猛牛が呼び起こすポルトガル独裁体制時代の記憶──東京国際映画祭2024ワールド・フォーカス部門。ポルトガルのとあるブドウ農園。暴走した牛から逃げるために農民たちは樫の木に登って身を潜める。農民たちはポツポツと一人語りを始め、徐々に日が暮れていくうちに、時代はサラザール政権下に逆戻りする。
夢に誘われたかのように時制が揺らぐ語り口には私が大好きな仇晟(チウ・ション)『郊外の鳥たち』を連想させたし、本作ではプロデューサーに座るペドロ・コスタの時間感覚を思わせるショットもほんの一瞬あったりしたけど、午睡的な快楽も釘付けにさせられるような迫真の静謐もそこにはなく……
と映像的には今ひとつだったけど、音は良かった。全編に渡ってスズムシみたいな虫の鳴き声が聞こえてくるが、おそらく草陰にいるのだろう、その姿は見えない。まるで、かつてポルトガルの地で(あるいはその植民地で)声を上げようとした人々の魂の遠いこだまを聞くようだった。本作はサラザール体制時代のポルトガルが少しだけ垣間見えるが、軍人の姿はうつる一方で、ファシズム的独裁に弾圧された側の人々の姿はうつらないからだ。映画の序盤に印象的なシーンがある。ブドウの葉の陰にカメラが置かれ、葉の隙間から陽の光が見える。虫の鳴き声が聞こえる。ブォンブォンという大きな音が近づいてきて、虫の鳴き声がかき消されていく。葉の隙間から一部だけ後景を視認でき、その音がトラクターのエンジン音だとわかる。
サラザール政権はアンゴラの独立運動を弾圧しており、劇中「兄たちは徴兵されてアンゴラに行った」という台詞も登場する。コンペ部門の『英国人の手紙』に繋がる偶然。
多くのシャンタル・アケルマン作品の編集をてがけたクレール・アテルトンが共同編集にクレジットされている。ラストシーンは完全に彼女の「間」だった。