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海で泳げない鯨のRinのレビュー・感想・評価

海で泳げない鯨(2024年製作の映画)
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カメラあるいは人物のゆっくりとした移動によって立ち現れる立体的な奥行き──東京国際映画祭2024アジアの未来部門。私にとっては茫然自失の大傑作、完全に大好物の映画でした。ひとりの若者がとある町を訪れ、ひとりの女性と出会う。という物語は一応あるけど淡い輪郭だけ漂っている程度で、本作はガチガチに設計された映像美を堪能する映画である。畢贛(ビー・ガン)『ロングデイズ ・ジャーニー この夜の涯てへ』のようなルックと、超長回しによる撮影。長回しは畢贛の追跡スタイルとは異なり、カメラが非常にゆっくりとしたパン/ズームアウト/ティルトで動いていく、あるいはカメラは動かないまま同一ショットの中で人物がある地点から別の地点に移動することで、舞台となる構造物が立体的な奥行きを伴って立ち現れてくるというものだ。ちなみにラストには、カメラでも人物でもない“とあるもの”が動くことでこれまでと同じように立体的な奥行きが強調されるという実験的なシーンもある。至福の3時間だった。年間ベスト級。

あまりにも好きすぎたのでもっと賞賛コメントを残しておくことにする。彼がただの畢贛(ビー・ガン)エピゴーネンやタルコフスキーエピゴーネンではなく歓迎されるべき新鋭だと思うのは、27歳にしてこの画面をつくれてしまうことに加えて、中国の新世代を創りだしそうな雰囲気があるからだ。『郊外の鳥たち』の監督である仇晟(チウ・ション)は、中国映画第8世代の特徴は「地域性」だと語っている。畢贛(ビー・ガン)なら貴州、顧曉剛(グー・シャオガン)なら杭州といった具合にだ。一方で『海で泳げない鯨』舞台は架空の町であり、同じような作品としては張弛(チャン・チー)の『海街奇譚』(2019)が思い浮かぶ。同作は幻想的な架空の町(監督の故郷をオマージュしているらしいが、立地として明示されていなかった記憶である)を漂うように妻を探す男性の物語がであり、火と水を配置した画面のルックも『海で泳げない鯨』に近い。なんとなく流れが来ている気もしなくもないのだ。この『海で泳げない鯨』をきっかけとして、架空の町における漂流を特徴とする中国第9世代がくくられてもいいのではないだろうか。どうです?

ともかく好きな映画でしたので。万が一劇場公開されたら絶対にもう一度観る。のでどこかさん公開お願いします。
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