このレビューはネタバレを含みます
泣けない映画はいい映画ではないのか?
『V.MARIA』
2025年 日本 95分
平日16:05〜 観客8人
いい話だけど泣けない。
押し寄せる感動の波もない。
だがいい映画だ。
■「泣ける映画=良い映画」とは限らない理由
1. 涙は一つの反応にすぎない
涙は確かに強い感情の表現だけど、それは「感動した」という一面的な指標。映画を観れば、他にも、恐怖、驚き、知的興奮、心のざわめきなど、さまざまな種類の感情や反応がある。
つまり「泣ける」映画は、あくまで“感情に訴える映画”の中のひとつの形式でしかない。
2. 泣ける映画は「わかりやすく感情を刺激する」傾向がある
多くの“泣ける映画”は、明快な善悪や不幸、喪失といったテーマを扱い、感情の起伏が強い。
それは人の感情を引き出しやすいけれど、逆に言うと感情操作に近いものになることもある。操作なんかされたくない。
それって、本当に「心に残る映画」なのか?
ただ泣いたことで「観た気になっている」だけではないか?
自問自答してきた。
3. 良い映画は、必ずしも「すぐ泣けるもの」ではない
「感情が爆発しない」
「物語が淡々と進む」
「観終わってから数日後にじわじわくる」
「数日、数週間経っても考え続ける」
そんな映画もある。
余韻。むしろ、そういう作品の方が長く記憶に残ったり、人生の節目でふと思い出されたりする。
■じゃあ「泣ける映画」はダメなのか?
そんなことはない。
泣ける映画にも素晴らしいものはたくさんある。
ただ、「泣いた=良い映画だった」と安易に結びつけるのは危険だと思う。
涙は“映画の良さ”の一側面にすぎない。
映画の価値はもっと広く、深い。
単に「感動したかどうか」ではなく、
・映画の構成
・演出の繊細さ
・人間や社会へのまなざし
・余白や沈黙の使い方
など、もっと豊かな観方をしていきたい。
考えてきたことをまとめることになる作品だった。
大好き。