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君への誓いのodyssのレビュー・感想・評価

君への誓い(2012年製作の映画)
4.5
【単なる「記憶喪失・純愛」ものではない】

愛する人が記憶喪失になり、その記憶をとりもどすべく努力する、という筋書きの映画は過去にもありました。
しかし、この『君への誓い』は、そうした定型のラブストーリーに収まらない深みを持つ作品になっています。

ヒロインのペイジ(レイチェル・マクアダムス)は交通事故で記憶喪失になるのですが、失われたのは最近4年間の記憶だけであり、それ以前のことははっきり憶えているという設定です。この映画、ここが鍵になっている。なぜなら、この4年間とはペイジにとって人生で最も重要な転換期だったからです。

夫であるレオ(チャニング・テイタム)は何とか妻の記憶を取り戻させようとする。それは単に自分と妻の愛を確かめるためではありません。この4年間は妻ペイジが自分の足で歩き始めた時期、つまり妻が本当の自分自身を発見した時期でもあったからです。

しかし、この4年間の記憶を失ってしまったペイジに、両親が近づいてきます。映画を見ていくと分かるのですが、実はペイジはこの4年間に事情があって両親から遠ざかっていた。両親からすれば、4年間の記憶が失われたことはもっけの幸い。これを機に娘との絆を取り戻そうとします。

けれども、それは夫からすれば、妻と築いてきた愛の絆ばかりでなく、妻がおのれの足で生き始めた軌跡の否定でもある。つまり、ここでヒロインの夫と両親は対立関係にあるのですが、それはヒロインがこの4年間を生きてきた価値観を共有する人間が夫であり、それ以前の時期の価値観を共有する者が両親だからなのです。

ヒロインの父は名門大学の教授。父はヒロインに対してその名門大のロースクールへ進むよう勧めます。つまり伝統的でありなおかつ社会に出るのに有利な学問を勧めるわけですね。しかしヒロインは結局ロースクールを中退して美大へ進む。食っていけるかどうかも分からない芸術を、最終的にヒロインは選んだのです。同時に父の価値観に反逆したことにもなる。

記憶を喪失したヒロインは、自分の背中にタトゥー(小さな刺青)が彫られているのを発見して、「ママに叱られちゃう」とつぶやきます。彼女は良家の令嬢であり、良家の令嬢がタトゥーを肌に入れるなどトンデモナイことなのです。良家の価値観は某国の橋○市長と一致しているわけ(笑)。またヒロインはこの4年間にベジタリアンになっているのですが、そのことも忘れている。ベジタリアンになったこともヒロインが上流の流儀からはずれてカウンター・カルチャー的な生き方をするようになったことを暗示しているのでしょう。

夫レオにしてもそうです。記憶を失ったヒロインの姉が婚約して、レオもヒロインの両親宅の食事に招かれます(ここでの映像で両親宅が豪邸であることが示され、ヒロインが上流の出であるとが分かる)。そこで自分が小さな音楽スタジオを経営しミュージシャンの録音作業に従事していることを説明するのですが、姉の婚約者から「今は自宅でパソコンを使って録音ができるのだし斜陽産業ではないか」と言われます。しかし夫はこの仕事がいかに創造的であるかを力説します。カネがもうかるか、これから有望な仕事なのかといったことは無関係に、自分のやりたい仕事をやるという価値観が見える箇所です。無論それは美術を選んだヒロインの生き方と一致するのです。

そう、この映画は記憶喪失という設定を使って、上流に生まれ育ち両親の価値観を疑わずに育ってきたお嬢さんであるヒロインが、それに反逆して自分自身を見つけ出し、なおかつ自分と価値観を共有する夫と結ばれる過程を描いた作品なのです。

ラストの、夫と妻がかつてよく行っていたレストランの扉の前で会うシーンも重要。レストランが休みなので、やはり以前よく行っていた別の店に行こうかという話になるのですが、夫は、まだ行ったことのない店にしようと提案して妻はそれを受け入れます。過去をなぞって反復するのではなく、二人で改めて新しいものを一緒に見つけ出していこう――夫と妻はそう決意するわけですね。二人の未来を暗示するすばらしいラストではないでしょうか。
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