Kuuta

サンセット大通りのKuutaのレビュー・感想・評価

サンセット大通り(1950年製作の映画)
4.3
ハリウッドの幻想と現実、成功と衰退。サイレント映画からの時代の変化。

サイレント映画の巨匠シュトロハイムが執事のマックス役を務め、女優ノーマを演じるグロリア・スワンソンを実際に見出したセシル・B・デミル監督が本人役で登場する。「マルホランドドライブ」や「ワンスアポンアタイムインハリウッド」の原型と言うべき、虚実入り混じるハリウッドという舞台を存分に生かしたフィルムノワールだ。

そもそもプロットの巧さでのし上がってきたビリー・ワイルダーが、「今の映画は台詞やプロットばかりでダメ」と往年の女優が批判する映画を作る、という時点でメタな面白さがある。

ハリウッドの底辺を示唆?低い低い位置のファーストショットが鮮烈だ。カーテンを下ろす動作でシーンが終わる=幕を下ろす。映写機や照明の光を浴びて恍惚とするノーマの不気味な輝き。遺物としてのチャップリン。ノーマがサロメの脚本を書いている時点で、彼女に逆らえば殺される事は自明。彼女に従う執事や友人のショットには首の無い構図が挟まれ、サロメの恐怖を暗示する。

時代に乗り遅れたノーマの屋敷には死と幻想が立ち込める。彼女の初登場シーンには鏡と炎。映画とは炎であり、煙=タバコ=幻想。売れない脚本家ジョー(ウィリアム・ホールデン)は次第にタバコを吸うようになり、彼女の術中にハマっていく。プール=死であり、大雨が2人を近付ける。ジョーと恋に落ちる脚本家の卵ベティの会話でも僅かにシャワーが滴り、彼女はお湯を沸かしている。

幻想を生み出して現実の成功を得るのがハリウッド。ベティは弱肉強食のハリウッドで夢を諦めない。ジョーは夢を捨て、現実に甘んじる(彼自身が吐き捨てたガムのように)。ノーマは老いてもなお夢から抜け出せず、彼女の最大のファンである執事のマックスがそれを支えている。この人物配置も無駄が全くない。シビアな産業としてのハリウッドを示すのが撮影所の人々。デミル監督のシーンなど、現場の彼らを一切否定的に描かないのも巧みなバランスだ。

ラストはカメラ目線。「脚本家の語り」というフィルターを剥がし、観客に直接迫ってくる。最後の瞬間だけはサイレント映画が復活し、シュトロハイムがメガホンを取る。

今作は単にジョーが現実と幻想の女性の間を行き来する痴話話ではない。死人が映画の魅力を延々と語る今作は、幻想を生き抜いたシュトロハイムの手でサイレント映画を永遠に保存させる試みであり、同時に葬送でもある。ラストのまとめ方にワイルダーのサイレント映画に対する圧倒的なリスペクトを感じ、思わず身震いした。85点。
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