どーもキューブ

暴力脱獄のどーもキューブのネタバレレビュー・内容・結末

暴力脱獄(1967年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

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ローゼンバーグ監督、ポールニューマンの素敵な反抗無意な笑顔

スチュアートローゼンバーグ監督
ドンピアーズ脚本原作、音楽「燃えよドラゴン」ラロシフリン。

脱獄映画といえるが、本作の印象は違う。脱獄をスペクタクルに描く作品が大概をしめるのだが、本作はポールニューマンの映画だ。
主人公のルークな素敵な反抗であり、
無意な笑顔を見る映画だ。
男なら共感できる。
無意味、無駄をひたすら繰り返すルーク。何を抱えるか訳は描かれない。
ルークの神をも恐れぬあの柔らかい笑顔に容赦ない社会規則、
刑罰、
磨耗する強制労働。
ルークの素敵な反抗に男の心は揺れてしまう、クールハンドルークのクールスマイルルークなのだ。
ひたすら彼の行為は、無意なのだ!
とあるシーンがすべてを表す、超必見!
僕はポールニューマンが得体のしれないキリストに見えた!ニューシネマ期の隠れた傑作。ルーク!
その悲しい笑顔の先に何がみえるんだい?
以上2009年3月11日 レビュー

追記
ポールニューマン出演作の中での、私のポール作品。
「明日に向かって撃て」「スティング」を見て魅了され、ポールニューマンを見ていこうという時に出会った。
ポールニューマンの脱獄物かなという軽い気持ち。
見るとなんか、違うんです。
ヘンなみかたすると、
何してんこの人?映画なんです。

私は、無意味や男のぶっかこう、ぶざまな映画を好む傾向にあるんですが、
男ならわかる、中指を立てる、怒りを内に秘める、ひたすら意味の無い行為をくりかえす。成功、論理、努力を、描く映画は、百モあるが、本作はその逆。
塀のなかで笑顔を冷静に魅せるポールニューマンに心の中で泣いた。
「クールハンドルーク」の無意味なスマイルにとことんマイッタ。
スティーブマックィーン「大脱走」とは、内容のベクトルが全く違う映画だ。内面である、あくまで本作は、脱出行為を描くんじゃない。
ふれた笑顔に何をかんじます?
私はひたすら男を感じたんでございました。ニューにシネマの中でも大好きな裏傑作。ブルーレイでほしい。

以上2015年12月追記レビュー


ローゼンバーグ・ポールニューマンのルーク!倒れても笑うキリスト


1967年ワーナー提供。
スチュワートローゼンバーグ監督。
原作・脚本ドンピアース。
脚本フランクRピアソン。



確か見たのは、ポールニューマンを好きになってきたころ20代前半。

きっかけは「明日に向かって撃て」を見てからだった。ポールニューマン見てみよう、掘り下げて見てみようからだ。

ワーナービデオで背表紙の字が緑表記の「暴力脱獄」だった気がする。その時はまあいわゆる「脱獄もの」映画として終わっていた。ポールニューマン主演映画としてしか感じられなかった気がする。 

それが何度か見返すうちに本作の持ち得た主張やら、表現していることがひっかかってくる。「大脱走」にもベッケル「穴」にも感じない何かを思い返しながら、気になってくる。

本作は脱獄を主たる目的に描いた映画ではない事に年齢を重ねていくうちに気づいてくる。少なくともマックィーンの「大脱走」とはやはり何か違う気がして、この感覚が忘れられなかった。また日常過ごしてくると思い返す映画になってきた。

決して囚人になりたいとか、罪を犯して鞭をうたれたいとか脱走してみたいとか
という意味ではない。

このポールニューマンのこの映画におけるふるまいやら、笑顔やら、行いに度々引っかかてくる、自分とダブらせて考えているのだ。
勇敢さというよりも、男のだらしなさだけはよく記憶に引っかかっていた印象だった。

過去レビューにあるとおりブルーレイ購入して眠らせておいた本作を2020年にワーナーブルーレイ再び見てみた。



まずレビュー読むと邦題がいやという意見多数ある。まあ「暴力脱獄」と単語でまとめ過ぎとは思ったが。

原題の「クールハンドルーク」を訳すのもなかなか難しいのかも。だし、本作の「暴力」は2種類あってルークや囚人たちへの暴力と数少ない看守たちへ、体制側への暴力とある。のだが、主に見るのはポールニューマン側の囚人たちへの暴力だ。それも罰という名の、自由剥奪の懲罰の暴力だ。正義の暴力とか制裁、仇討ちの暴力じゃなく、どこか理不尽を感じる、何か見ていて当然だよ受けるのはと思えるような暴力なんだろう。理由や背景はわからないが、、。

本作の主題でもある「暴力」「脱獄」をくっつけただけなのかもしれない。安直な感もあるように見える。

しかし、私は本作の映画の持つ奥深さ、難しさがあるように思っていてなかなかタイトルはむつかしい。そこでタイトル考えてみた10連発。

「がんばれルーク」
「栄光への脱出ルーク」
「闇から抜けるルーク」
「笑顔の(天使の)ルーク」「籠の中のルーク」
「良い手だぜ!ルーク」
「逃げるんだルーク」
「囚人たちの栄光」
とにかくむつかしい。それはもしかして本作のポールニューマンを見て我々が

何を思うか

によるところが大きい。、

集団劇を見る映画だ。このむさくるしさをどう感じる。監禁されてる男たちだ。

ラストになんだか知らない涙が流れる。

完全にただ疲れしかない苦役。嫌らしい徒労に屈せず、フラフラして、倒れるポールニューマンに涙しかなかった。

この映画は極めて何度も倒れる映画なのだ。男の倒れる映画だ。冒頭罪だかなんだかわからないこうごうしいポールニューマンの素敵な犯罪笑顔から映画ははじまる。犯罪とはほど遠い存在に見える。むしろなんで刑務所に入ってきたのか見ていてヘンな違和感すら感じる導入だ。

 勿論囚人になったことないし、なりたくないし、同情とはいかないわけだが。なんだか笑いながらも殴られながらも耐え、立ち向かう行いの連続を見る映画だった。まわりは常に翻弄されながら、凄い男だとも言わせる。

 「ルーク!次の計画はあるのかい。」ときくといや無いと。察するにかなり無計画にも見える。

この映画の良さはまず刑務所をみる映画。刑務所の「規則性」を魅せる映画でもあった。ただただ刑務所を見る映画だ。刑務所の日常を見せる。恐ろしいほどの罪償い時間を見ていく。

自由なし、規則だけ、刃向かえば殴る蹴る棒で小突かれる。許可は大声。刃向かえば、簡易トイレのような狭い独房に監禁だ。ある意味シンプル、罪の牢獄だ。

ワーナー提供の十八番映画ともいえる。フィルムノワールと言われ「汚れた顔の天使」やら「白熱」やら「彼奴は顔役だ」やらワーナーが作り出したお得意のギャング物だ。1930年から40年代にかけての頃だ。

監督のスチュワートローゼンバーグは、テレビ出身。19ドルで購入した本作原作を映画化。脚本家のドンピアースは、自らの収監体験を元に小説を書いた。「3分の1は私自身だ」と。「食べること体を動かすことに自信があった」と。ドンピアースは、囚人の中にまみれて出演されている。盛り土のシーンのアドバイスをしたりしたそうだ。あと今の刑務所にあんな大部屋感の刑務所があるとは思えないが、、。

この映画はまさに男の映画だ。女性は完全にセックス対象でしかない。あの車を洗う女性のまるでストリップ洗車。女性は、彼女以外出演しない。特典映像でインタビューに答えていてびっくりした。

ポールニューマンことルークの詳しい説明も特に無い。なんでルークは抵抗、暴力脱獄するのかという具体的説明台詞なんぞは一つもない。が、それにまつわる事象や事実、過去みたいな因子は登場する。

 ルークは優秀だが挫折している。
親不孝を自覚している。接見もしている。
優秀な兵士だった。
 思いつきの犯罪だった。この理由も言及はない。看守も驚愕の理由だ。なんであんなにパーキングメーターを折り曲げたかという理由だ。そんなものは、ルークにとっちゃあどーでもよさそうなのだ。

つまりやるまでとことん
何かに絶望したり、
諦めたり、
馬鹿らしかったり、
全部ほったらかしたり、
逃げたり、
愛想つかしたり、
無茶したり、
人を傷つけたり、
傷つけられたり、


そんなことを散々した挙げ句の果ての何かの笑顔にみえる。

この複雑なキャラクターにポールニューマンが成りきる。そんなポールニューマンを見る映画だ。本作は行き過ぎた表現は勿論ないし、ある意味ポールニューマンのスター性をみる映画という側面はある。それほど素晴らしい、そして汚らしいというか男だらけでむさくるしい。そこに脱獄を重ねるのだ。この「またやってしまう」感、また「脱獄する」感の半端なさ必見。

これに同情出来ない方は、おそらくアンチヒーローやピカレスクものは、見ても何も感じないことだろう。

ポールニューマンが釜を掘られたり、顔が変形するほど殴られたり(多少ある)する事はない。行き過ぎた表現はない。

ポールニューマンは、「俺に合わせず、原作にあわせるように描いて」といったそうだ。また事実ドキュメントなものでわなくあくまでフィクションの映画化だ。

ポールニューマンの倒れても殴られても進む何かに引っかかっていた事に気づいた。そう、囚人のどえらく理不尽な生活を魅せられる映画なのだが、いためつけられても、殴られても、無益無駄な行為をしても、どこかやり遂げ、泣いてわめいても抵抗する(本人曰く本当に力つきたんだとのこと)。脱走する。犯罪者ルークに間違いなく同情しているのだ。アンチヒーロー映画でよくある現象、悪者に同情する心理だ。それは反面教師的な同情なのかもしれない。こうなったらいけない、ルークのような「め」にあってしまうという同情だ。

数々の映画に本作の影響はあるレビューにもある「ショーシャンクの空に」や

スパイクリー監督「25時」では本作のポスターが出てくる。

卵のくだりを実際にやってみたガンバルマンドキュメント集団「ジャッカス」まで影響を与えている。(結果は嘔吐嘔吐の連続。くわしくわ「ジャッカス」を見てね。多分テレビシリーズのほう。)

まわりの囚人たちもアクターズスタジオの優秀メンツばかり。

台詞は無いが間違いなく頭のネジがハズレいそうで、急に変な声や影絵のような指を作る若きデニスホッパー。知的障がい者の役と音声解説。

あまりにもウマすぎでぶっ飛んでいて目につくホッパー。よく見れば判ります。また冒頭よりのアップで全身映る。座って影絵を作る手の動きをしているホッパー必見。

ギターを弾き神の歌、歌うハリーディーンスタントン。冒頭無駄口を叩き小突かれている。

オスカー助演男優賞をもらったジョージケネディの人情ボスぶりは最後まで必見。受賞以降人の良さそうな役が多くなったとか。

ジョージケネディはいわば、本作の規則性を示すボス。囚人たちのボスであり、生活のかなめだ。

クールハンドルークは、ポーカーのシーンからあだながつく。本作のタイトルが呼名される大事な箇所だ。

無策だが、はったりだけでポーカーのレイトをあげ、オープンするとまるで役も揃ってないはったりだけの役で上がれたポールニューマンを評して「クールハンドルーク」(よいてはずのルーク。いや実際なんにもないけど、、。たいしたやつだというニュアンスにきこえた。)

本作といえば、卵のシーンがある。このシーンで単なる新人だったルークが一目を置かれ仲間のように受け入れられる。まあ「卵を50個たべる」というどーでもいい大食いをやるシーン。ポールニューマンは「自信がある」と。じゃーやろうと刑務所内側も準備するからよくわからない。(週1回喧嘩する日がある、土曜日認定)

このシーンは実際大量の卵が用意。撮影が進むにつれ気持ち悪くなる方が多数出たとのこと。魅惑の食材卵だ。ポールニューマンがちなみに食べたのは11、12個ぐらいだとのこと。ポールニューマンの腹は、実際意図的にふくらました演技だそうだ。モンタージュの勝利でめちゃめちゃつらそうに食べてるポールニューマンだ。


無意味、無駄、人生の損的自暴自棄的大食い。

それは男の子の象徴的行為に俺は見える。

ストレス食い、別腹食い、カレーは飲み物、デザート別腹、締めのラーメン、別腹の菓子etc

卵のシーンの終わり方も実に象徴的で汚らしい卵の皮や卵まみれになり大の字のポールニューマン。大食いでへたばり、倒れている。そうキリストのように。そこに誰かがスプーンを置く。このスプーンは何?みないな記事があり面白かった。吐かせる為の愛情だとか、無くしてはいけないものだから誰かが置いてくれたとかあった。私は後者だと思う。しかし、スプーンなんて渡したら絶対脱走の手助けの何かになったり、凶器に改造したりやりかねないとは思ったが、、。

ラスト無神論者に見えるポールニューマンは、あからさまに神への叫びをする。いろんな見方あるとは思うが、私はあくまで自嘲的なルークの笑顔前の嘆きのひと言、嘆きの薄ら笑いととっている。倒れても起きるルークが強い宗教信者に私にはみえなかった。




さて
ニューマン、ローゼンバーグ監督の囚人ルークについて

是非ご覧ください。わたしにとっては大事な作品であり、オールタイムベストなダウナー笑顔映画の基礎作品であった。
あのスマイルマイナス100パーセントを見るとやるせない。

追伸
ローゼンバーグ、ポールニューマンのタッグ作「新・動く標的」ソフト化またデマンドして欲しいなあ。これも続編の方が面白い作品認定。変な探偵家映画でした。
「ポケットマネー」も見てみたい。ローゼンバーグ・ポールニューマン3本タッグ組んでいる。

今の追記
ポールニューマンはもういっぽん大事な作品、ロバートロッセン「ハスラー」がある。こちらも大事なポールニューマン作品。ブルーレイ鑑賞したらレビュー近日。スコセッシの「ハスラー2」は論外なんだよなあ。全然映画の質が違うんですよ。「2」再発お願いします。トムクルーズ案件で権利化許諾おりないかわからんけど、。見なおしたい一本。
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