晴れない空の降らない雨

結婚哲学の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

結婚哲学(1924年製作の映画)
4.2
 サイレント期ルビッチの代表作のひとつで、アメリカにおける彼の快進撃の始まりを告げた作品。同時代のアメリカのコメディといえば、チャップリンらに代表される「スラップスティック」が主流なわけだが、その後ワイルダーを経て今日まで影響を残しているのはルビッチ流の「艶笑喜劇」だろう。
 理由はまず、スラップスティック喜劇が俳優その人が築き上げたキャラクター性に完全に依存していて、誰にもそれを真似できなかったことがあるだろう。それに対し、ヨーロッパの舞台喜劇の流れを組むルビッチの作風は、何よりもシチュエーションを考えることが大事だった。ルビッチはネグリやヤニングスといった人気俳優を育てつつも、本質的には俳優のスター性には無関心だったと思われる。
 この柔軟性は同時に、来たるべきトーキーに適応しやすいということでもあった。ここがスラップスティックの作り手たちとルビッチとの分水嶺である。結局ルビッチは、トーキー以前・以後双方においてアメリカで最も成功したドイツ人映画監督となった。
 
 実際、「登場人物に知覚された世界・状況」と「監督と観客だけが知っている事実」のギャップが生む皮肉な効果という点で、サイレント期からトーキー期にかけてのルビッチ映画の連続性は明白である。技術的進歩はその表現手段を増やしたのである。
 やはり今見ても文句なしに面白いサイレント映画はコメディだ。この『結婚哲学』も、セリフが字幕だろうが、カメラがろくに動かなかろうが、そんなことは意にも介さない軽やかさで、人を笑わせてくれる。
 というか、そうした物理的な制限が技法を洗練させたようにさえ見える。本作でルビッチはウィーンの上流階級の性生活を冷笑的に、しかしアメリカ人好みに調整しながら描き出すのだが、基本的に固定された画面はそうした冷笑的距離感をもたらす。
 さらに本作で観客を大いに楽しませてくれるのが、次から次に現れる小道具の活躍ぶりである。カメラはまず状況を映し、次に人物を映し、そして小道具を映す。前述のギャップによる皮肉な笑いは、状況-人物の関係でももたらされるが、小道具によってさらに絶妙にそれを行うことができるのだ。
 もっとも、ポール・バーンによる皮肉たっぷりの脚本あってのことである。
 
 他にルビッチならではの特徴として、女性の主体性・能動性が挙げられる。本作では、熟しすぎた果実感をむんむん漂わせるミッチーの、親友の堅物の夫を誘惑するための大胆きわまりない行動が物語を転がしていく。最初は呆れながら観ていたが、しだいに応援したくなってくるほどだ。
 ルビッチはドイツ時代からすでに、男装女性を主役にした『男になったら』のような作品で、敗戦後ドイツの男性性の危機とジェンダーの混乱を笑いに昇華していた。もちろん、そこに政治的な志向は全くなかっただろうが、当時のアメリカ映画がおしなべて運命に翻弄される受動的存在と女性を見なしていたことを考えると、ルビッチの異質性は面白い。のみならず、規範の攪乱行為にある程度慣れているヨーロッパと、表向きはヴィクトリア朝的保守主義を気取っていたアメリカの違いを、本人が熟知して利用していた。ここにも彼の成功の鍵がある。