初めて観たのが恐らく1996年か、1997年くらい。20数年ぶりに鑑賞。
当時はこのようなテイストと表現の日本映画を観たことなくて、驚いたのは事実。
ファーストシーンの美しさと、ロングショットだけで「当時」としては破格。
現在の視点で観ると、やはり昨今の韓国映画にも通じる画面のサイズ感や編集。あるいは俳優たちの会話のテンポ感なども近い気がする。
やはり、躍進する韓国映画の裏には北野武と岩井俊二の影響が強くある気がする。
全編を通じては良いところはとても多くあり、一方で、そこまで洗練された作品でもなく生理的に合わないところも多くある作品。ある意味で全体的に歪に感じる。
全編を通じて浮かび上がってくる「死」に対する物語が、中山美穂演じる渡辺博子と藤井樹、という二役のアイデアは秀逸だと思うし序盤のミスリードは映画的スペクタクルに満ちている。
しかし、両極にあるエピソードのバラつきが気になってしまう。
博子側は、藤井樹(男)の直近の思い出が主軸になるが、とにかくウジウジし過ぎている割にウエット且つスカスカだし、豊川悦司演じる秋葉との関係の「いやらしさ」も鼻についてしまう。
一方で、今や確かめようのない、当時は知り得なかった藤井樹(男)の自分に向けられた恋心を巡るサスペンスは見応えもありつつ。
藤井樹(女)に男性の影が全くなく、実家住まい、職場は女性の同僚としか話さず、ラストシーンためのご都合主義的に映ったりする。
鈴木蘭々の「女」的同級生にもゲンナリするし、病院に行く行かないの件も間延びしてるし、などなど。イライラする描写が多い反面で。
樹(男)の死を知った矢先にイメージが結びつく父親の死とのオーバーラップなど、なかなか味わい深いシーンも多い。
良くも悪くも鳴り物入りでデビューした岩井俊二。クールで緻密な映画を撮る、という当時の世評はそんなイメージだったが、なかなか不器用で、粗も多く、そこに気付きがあったぶん、観て良かった。