Yoshishun

ワン・バトル・アフター・アナザーのYoshishunのネタバレレビュー・内容・結末

4.1

このレビューはネタバレを含みます

“究極の作家性映画”

人生初ポール・トーマス・アンダーソン監督作は、革命家はつらいよ映画。
元革命家の男ボブは、行方不明の母との間に授かった娘ウィラを宿敵に誘拐されたことから、かつての革命仲間の手を借りながら追っていく様を描く。

実に20年以上もの構想を経て、トマス・ピンチョン原作『ヴァインランド』内の設定を借りつつ、独自のストーリーを構築した本作。アクション、サスペンス、コメディ、ラブロマンス、1つのジャンルに囚われないPTA映画という唯一無二のジャンルこそが究極の作家性といえる。キャリア初のアクション大作としながらも、終始銃をぶっ放したり、派手なカーチェイスが繰り広げられる訳ではなく、あくまで作品のエッセンスの1つとしてアクションが存在するに留まる。それ故に、やたらアクションが前面に押し出される宣伝手法は間違っているようにも思う。

冒頭はフランス75という革命家グループによる移民解放が描かれ、あれよあれよと宿敵ロックジョーとの確執、娘ウィラの誕生、ボブの現在と場面が切り替わり、置いてけぼり感を食らうのは否めない。極力状況説明は省略しながらも、止め画や役者の配置、最小限の台詞に留めて事態の急展開を繰り返す。確かにここで状況説明をイチイチ挟むと3時間超は免れないため、意図的な省略ととれる。

ウィラを巡る追走劇が始まってから映画はようやく大きく動き出し、追う追われるという立場が代わる代わる逆転し、直前まで平然としていたキャラクターの突然の退場、裏切りに次ぐ裏切りと、二転三転し全く予測不能な展開へと進んでいくのはまさに脚本冥利に尽きるといったところだろうか。そこにカーアクションシーンにおける上下の揺れを活かした斬新なカークラッシュも加わり、物語以外の演出面での拘りも強く感じる。

また、個性的なキャラクターの魅力も詰まっている。主人公の元革命家、しかも功績者であるボブは、16年もの歳月を経てすっかりダメ親父へと変貌している。劇中の彼の行動が追走劇を更に厄介なものにしていて、娘との待ち合わせ場所に必要なパスワードを忘れたり、警察に捕まったり、射程距離にいたロックジョーを撃ち損じたりする。更に娘にも愛想を尽かされ、完全にお荷物状態である。それでも娘の奪還という1つの目的のために奔走し、革命家という肩書を捨てた純粋な父親の姿に感動を覚えるのである。娘ウィラも、チェイス・インフィニティが初演技というのもあり、何も知らない中立的な立場から騒動に巻き込まれる状況が自然に映る。終盤のどんでん返しを経て、革命家の血を受け継ぐ中での機転の効いた行動、そしてボブとの再会における「Who are you?」という台詞も深い意味をもたらす。

そして、本作の面白さを底上げしているのは確実にロックジョーだろう。ショーン・ペンの演技力、どうも格好悪い身なりとそこに立っているだけで只者ならぬ迫力を生み出すというギャップが堪らない。序盤で勃起するというだらしなさを見せていたのに、別の場面ではウィラの母の背後に立っているだけなのに威圧感が凄まじい。彼自身白人至上主義者であり、黒人女性も性的な目でしか見られない。それでいて支配欲も強く、母に逃げられた場面での何とも言えない怒りにも悲しみにも見える表情がすこぶる良い。最早ショーン・ペンに当て書きされたのかと思う程にはまり役だったと思う。ベニチオ・デル・トロ演じるセンセイがキャラが濃いだけに留まったのと比較すると、よりそう感じる。

前半の退屈さはあり、また母ビバリーヒルズの行動が悉く騒ぎを悪化させているにも関わらず、ラストの手紙における急な懺悔もあまり活きてこない。ボブはウィラを必死に探すという行動を以て蟠りを解消できたといえるが、ビバリーヒルズはさすがに身勝手な行動しかしていないので、より腹立たしく映ってしまう。

正直好きなタイプの作品ではないものの、全編ビスタビジョンで撮影されたことによる画と、彼等の心情に合わせた旋律が響き渡る音の拘りが尋常なく感じられる一級品のエンタメ大作であることは間違いない。IMAX等ラージフォーマットでの鑑賞こそ本作を最大限堪能できる環境かもしれない。
Yoshishun

Yoshishun