「〇〇的」といえる引用や参照はいっぱいあるんだろうけど、その“境界すら曖昧”なので、もはやこれが濱口的と言っていい。『親密さ』『ハッピーアワー』『ドライブ・マイ・カー』の延長線上としての「ここまで来たか」という感覚。一方で、それでもまだ見ぬ領域を見せられたような「そう来たか」という感覚も交互に味わう。こういう映画は初めて観た、なんて言いたくなる。
中盤、ホワイトボードを使っての、まるで知識のひけらかしのような言葉の応酬。何を隠そう原作の書簡は、学者同士の相当知的レベルの高い言葉のやり取りであり、まさにあの調子であったことを思い出した。資本主義社会の構造の内部で「当たり前であること」を迫られる日々に疲弊しながらも、結局根本にあるのは「それでもこの世界で生きていたい」という欲求なのだと思う。
不可能なことは不可能。それを受け入れながらも、その不可能が映画あるいは演劇によって可能になるかもしれないという奇跡を信じ続けているであろう映画監督が作り上げた、奇跡のような映画だと思った。脚本はもちろん、音響や構図も含めてものすごく丁寧に緻密に作られていることがわかる(ソフィがインタビューで話している屋内のシーンで、外から智樹の声が聞こえてくる、とか)。フレームの中に映る空間だけでなく、文字通り「外部」にまで目を配っていることの証明だろう。
このところ、仕事での対人関係における境界線の引き方についてちょっと考え悩むことが多かったので、個人的にはかなり突き刺さるものが大きかった。6月病、治ったかもしれない。あんなにコーヒー飲んじゃって若干後悔してたのに、3時間16分もの間一度も尿意を感じなかったのは、水分が全て目から出尽くしてしまったからか。違うよな。