JUN

12モンキーズのJUNのレビュー・感想・評価

12モンキーズ(1995年製作の映画)
4.0
ギリアム作品、2作目。
人類の99%が死滅した未来から、ウイルス感染が始まるその前まで遡り、ウイルス拡散の原因を探るミステリー型SF作品。

正直、こんなに面白いとは…!
主演ブルース・ウィリス、助演ブラッド・ピッド。確固たる地位を築きつつあった二人の、全く違う面が観られる新境地。屈強な百戦錬磨の男でもなく、最もセクシーな男でもない。ここにいるのは弱くて脆くて"混乱"の最中にいる一人の男と、頭の"キレた"奇妙な男で、二人のその演技を観られただけでも、相当の価値があると思いました。

本作は時空を越えるタイムトラベル物で、それに加えて「これは現実か妄想か」と悩まされる部分が多々あるため、少し難解なストーリーとなっていますが、伏線はとりわけ分かりやすい方かと思います。ただ、2015年でドラマ化された時も言われていたようですが、この作品はラストまで回収されない伏線や解き明かされない謎がいくつかあり、それはどれだけ我々が考えたとて本当の答えは見つからないようなもので、そこを「モヤモヤする」と捉えるか「面白い」と捉えるかは好みが分かれそうです。
個人的には後者ですが、中途半端に放置された伏線はやはり親切ではないなとは思いました。それが監督の意図したところなのか、単にこの映画の尺の中で描ききれなかったのか、はたまたこちらがただ疑心暗鬼になっているだけで、元から伏線ではなかったのか…
ただ、ラストの解釈や考察をあらゆる方がされていて、映画が終わった後でも少しずつ違う世界が残るというのはこういった"難解"映画の良いところではないかなと思います。

この作品ではテレビやラジオがとても重要な役割を果たしています。中でも個人的に印象的で好きだと思ったのは、カーラジオから流れてEDにも起用されたアームストロングの"What a Wonderful world"。この世界の思想を否定した上であえて「この素晴らしき世界」を流す…カーラジオでは地下の世界から地上の暮らしへ憧れ感動するコールの心境を表したものかもしれませんが、全てを観賞しきった後で聴くと、なかなかに風刺の効いた選曲だなと思いました。
12モンキーズの思想の元となったジェフリーとコールの会話は動物実験に関するテレビ番組から生まれますし、ラストの展開はずっと小ネタ的に扱われてきたビーチのCMが実を結んだと言ってもいいのではないでしょうか。
テレビやラジオに注目するだけで、だいたいのストーリーを掴めるようになっているというのは、この物語のわかりやすい点だったかなと思います。

サイケデリックな世界観の印象が強いギリアム監督には珍しく、本作は純粋な1996年が描かれていて(未来の世界はやはり少し奇妙ですが)、そこに一度聴いたらなかなか忘れられないあのアルゼンチンタンゴの曲調が絶妙にマッチしていて、総合的にはストーリーだけでなく世界観としてもとても印象に残る作品だったように思います。
そして個人的にもう拍手喝采すべきはブラッド・ピッドですね。同年公開の『セブン』とはまるで正反対の役柄。挙動不審で激しやすく、お尻なんか丸出しにしたりして…でもブラピ演じるジェフリーの良いところが、そんな挙動不審でありながらも言っていることはとてもまともで、自分の中にブレない信念のようなものがあるところです。精神病患者で情緒不安定な印象から、登場人物たちは彼のその内面に潜む聡明さにはなかなか気付くことができていません。
私も最初は彼の言動を面白半分で観ていた節があるのですが、とあるシーンから彼がこの物語の中枢を担っていることに気がついたので、それからはもうそのチグハグなキャラクターとそれを演じるブラピに釘付けでした。

この物語に多く含まれるあらゆる伏線やメタファーの濃度。この物語の"キー"となる"12モンキーズ"の時計型シンボルや、ラジオやテレビで流れる何気ないニュース、コールの夢、未来世界の資料、妄想と現実の交錯…それらがとにかく観賞後または後半にかけて一気に押し寄せてきて、2度3度観たくなるような作品です。

下記それらの考察と個人的なストーリーに関する考察です…また長いです……


【下記ネタバレ有り】

劇中では語られない伏線やメタファー、ラストの考察について、さまざまな記事を読んでみたのですが、本当に三者三様というか、この映画の広がり続ける強烈な世界観に心打たれました。
ただ、あまり私と同じ考えの人が見つからなくて、それも逆に面白かったり…
それは、

【このコールは何人目?】

ということ。

結構自分で提唱しといて面白いし理に叶ってるなと思うし(自画自賛)、なにより「祖父のパラドックス」が起きないという点でめちゃくちゃ画期的なのでは?と思うので長くなるかもしれませんが、ぜひ書かせてください…

この映画の主人公として描かれるコールですが、一体何人目なのでしょう?
というのも、みなさんは観ていて疑問には思いませんでしたか?なぜ医者たちはコールに"証拠"の写真を見せられたのか。なぜそれが証拠だと分かっていて彼に見せることができたのか。それだけの情報を持っていながら逆になぜ12モンキーズの正体に気付けなかったのか。知ってるなら自分たちで接触すれば早いじゃないですか。
その答えとしては2択。タイムトラベルの精神的負担というリスクを犯して、不確かなところがあるまま自分たちで実行することに抵抗があったから。あるいは…この証拠たちはそもそも何度も試行を重ねて蓄積された情報だったから。そこで、私がいう【何人目のコール?】という問いかけが出てきます。
つまり、この物語は元々「タイムトラベルして情報を掴んだコール」がこの物語以前に何人も存在していて、そのコールたちが掴んだ証拠を医者たちは収集していた。そしてまた別のコールへその証拠を潜在的にすり込ませることでコールは「自分が閃いた」という思想の元、真実を追っていくのです。

なかなかぶっ飛んでますが、面白いと思いませんか?(自画自賛)この考えに至るまでに、いくつか参考にした理論があって、それが『未来が自動修正される』という説と、『並行歴史』という説です。それぞれわかりやすく解説されてるサイトがありますのでぜひご覧いただきたいのですが…

まず、"並行歴史"という考え方について。"並行世界"というのはパラレルワールドとして、"少しずつ違う世界"のことを指しますが、"並行歴史"というのは、過去が全く同じ世界が無数にあるという考え方です。そしてこの考え方で面白いのは、「オリジナルがある」ということ。
つまり、通常のタイムトラベルというものは、いわゆるタイムトラベルが発生してから戻った地点までのループが必然的に起こってしまうのですが、この「オリジナル」というのは、タイムマシンを発明した元があって、運命的に決まったループではなく「起こそうと思わなければ起きないタイムトラベル」であり、「未来を知った上で基本的な選択(過去の自分の)は自由意志により決定できる」というものです。
そしてそれに加えて『未来は自動修正される』という話を組み合わせるとします。(たとえ祖父を殺そうとしてもなんらかの力や要因によって祖父を殺すことはできない、という説です)そうすると、たとえコールが細菌テロを阻止しようとしても誰かしらが必ず細菌テロを起こそうと"自動修正"されるので、未来は変わらず、コールが自由意志で行動しても細菌を採取することは可能なのです。

つまり医者たちは"オリジナル"の世界の人間で、その世界を救うためにほかの平行歴史の何人ものコールに任務完了までタイムトラベルをさせているのではないのかな、ということです。
加えて、この任務というのは一つずつ行われているのではなく、何人ものコールに同時に行わせているので、途中で留守電未来の資料が増えたりするのかな、と思いました。
また、劇中で何度かある"ボブ"と呼びかける声は平行歴史またはコール自身に宛てた暗号で、彼を"ボブ"と呼ぶのは「アリスとボブ」のボブかと。

他にもこの説に沿って考えると、色々と考えやすいような気がするのですが、とにかく長くなってしまいそうなので、この辺で………(既に長い)
是非、観たことがある方でこの作品に関してまたはタイムトラベルに関して意見をお持ちの方がいらっしゃいましたらお話できたら嬉しいです。

演技やストーリー、世界観に加えて、そういった楽しみのある素晴らしい作品でした。
JUN

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