さじ

ふたりの5つの分かれ路のさじのレビュー・感想・評価

ふたりの5つの分かれ路(2004年製作の映画)
4.0
妻マリオン役のヴァレリア・ブルーニ・テデスキさんの演技が素晴らしい。調べたら『歓びのトスカーナ』のかただった。こちらも傑作。

①離婚。弁護士の読み上げる乾いた条文を、身じろぎせず退屈した冷たい態度で聞く妻と、やや落ち着きなくイライラして聞く夫のシーン。二人の現状認識にすれ違いがありそうなことをさり気ない態度で伝える演出。のちの結婚シーンと対をなす。
つづく賛否の分かれそうな露悪的な性描写。見ていられないが、耐えて見ると、きっかりケリを付けたいが為に受け入れた妻と、まだ“これによって”確かめられるのではと妄想し、拒絶を咀嚼できずにいる夫との対比を感じる。妻の想いが完璧に無ではなく、対話に応じるつもりはあるものの、だからこその絶望と涙がそこにあることを見せつけられる。

②ある夕食。
ゲイの夫兄に対する態度と就寝シーンで、ロマンチストな妻とリアリストな夫の違いが浮き彫りになる。音楽に合わせて踊る妻にとって夫婦生活は気分を盛り上げて楽しみ抜くモノ、静かにソファに座る夫にとっては一つの事業、第一義的には子育てである。
不貞の告白があった晩に妻はそんな気になる訳はなく、しかし夫はそれを読書の後にくるルーティンのように当然、待ち構えている。事業を構成する習慣を乱された夫は、その存在意義である子供へ意識を向かわせる。妻はそれを見て、かわいい人、といって気分を上げる材料とする。

③出産。夫は妻の予定外の出産にウダウダとして結局、会いに行かない。この解釈は難しかったが、習慣を乱す事象の嫌悪、出産への意識の低さ、愛しているかどうかの疑念、あるいは望まない妊娠、あるいは父性の不確実性、を推測させる。
①②のシーンで子供を気遣うのは、夫にとって子供こそがこの結婚を持続させるものであるからかも知れない。夫が産児室でどれが自分の子供か尋ねるシーンが印象的。出産の受け入れ難さを示している。
電話で『愛してる』『着替えを持ってきて』は、対話の成立が難しいことを感じる。夫は自分を“受け入れられる”ことに愛なのだろうが、妻にとっては“何かをして貰う”ことが愛なのだろう。

④結婚式。ふわふわして感情に正直すぎる妻の真骨頂が表される。初夜の不貞を暗示するシーンののちに、眠りこける夫へ愛しい人と擦り寄るシーンは自然な表現だが衝撃的。この罪悪感と寂しさと高揚感と安心感の入り混じった行動を描いた映画は観たことがない。

⑤出会い。
恋愛やロマンスの誤解と一回性について考えさせられる。偶然に必然を見ずに居られない人間と、妻の幼さ、夫の軽さが描写される。妻も夫も未熟で、その未熟さが共通項となって二人を引き寄せたことを感じる。夫と、嫉妬する元恋人との性描写のほうが上手くいっているように見える。この嫌味っぽいが大人な元恋人と居たほうが、未熟な夫は良かったのではないか、と思わせる。
ここまで来て『存在の耐えられない軽さ』を想起する。また、『ブルーバレンタイン』はウゲーって感じだったけど、こちらはなんだかオシャレ。

フランソワオゾンは『スイミングプール』からの2作品目。奥深さと言ったら軽すぎるような、上質な映画体験をありがとう。
さじ

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