優しいアロエ

独裁者の優しいアロエのレビュー・感想・評価

独裁者(1940年製作の映画)
4.0
〈言語媒体の不統一が生み出した映画史に残る6分間〉

 最後の6分、チャップリンは見えない舞台衣装を脱ぎ捨てた。機械化を嘆き、愛の尊さを謳ったあの演説は、しがない床屋の言葉ではなく、チャップリン本人の言葉に他ならない。ここには些か懐疑的になってしまう。

 まだ二作品しか観ていないため何とも云えないが、トーキー以降のチャップリンは、映画内言語の統一にあまり頓着していないように思われる。たとえば『モダン・タイムス』では、サイレント時代に練磨したマイムを基調としている一方、チャップリン以外のキャラクターは度々オーラルに言葉を発するし、ナレーションには字幕を採用している。また、当のチャップリンも終盤の佳局では肉声による歌唱を披露している。こうした一貫性のなさは独特なリズムを生み出している一方、肝心のマイムが手段ではなく目的に見えるなどの弊害もあった。良くも悪くも言語媒体が不統一な作品であったのだ。

 それはこの『独裁者』にも云える。発声言語とマイムを折衷した独自のスタイルは、サイレント時代のスターであったチャップリンがトーキー文化に適応するための当然の策であったのだろうが、そのある意味のルーズさが、掟破りとも云える終盤のメタ演説をも許容したように思う。

 多分暴論。もっと観ねば。
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