「ハンナ 聞こえるかい。顔をあげるんだ。
太陽が顔を出し明るく照らし始めた。新しい世界の始まりだ」
チャールズ・スペンサー・チャップリンは1歳のときに両親が別居し、以降は母親の元で育てられ貧困な幼少期を過ごしています。
1896年精神的な病気を患った母親は以降完全回復することはなく、1928年チャーリーはグレンデールの病院で63歳の母親を見送っています。
「もし母親がいなかったら私がパントマイムで名を成していたかどうか疑わしい・・・」とチャーリーは語っています。
チャーリーは第二次世界対戦の勃発と共にヒットラーをモデルにこの映画を撮り始めました。近年スイスのレマン湖の畔に建つチャーリー邸でこの映画のメイキングフィルムが見つかった(NHK「新・映像の世紀 第3集 時代は独裁者を求めた」に収録)のですが、兵士達が銃を捨て踊るハッピーエンドが予定されていた事が判りました。しかし現実の世界でヒットラーの脅威が膨らむ中、ハッピーエンドはあり得ないと撮り直したのがあの心の叫びの演説のラストです。
床屋のチャーリーは演説の後、ヒンケルの支配から逃れるためオーストリッチに脱出したが再びヒンケルの支配下に置かれ、深い悲しみと絶望の淵に追い込まれたハンナに突然語りかけます。
『ハンナ 聞こえるかい
顔をあげるんだ。
太陽が顔を出し明るく照らし始めた。新しい世界の始まりだ。
人々が憎しみや貪欲や暴力を乗り越えた。
見上げてごらん。人の魂には翼があったんだ。
やっと飛び始めた。虹に向かって飛んでいる。希望の光に向かって。
全ての人の輝く未来に向かって。
さあ見上げてごらん』
ハンナの顔に希望の陽の光があたり、明るい未来の兆しを感じて映画は終わります。
喜劇王チャーリーの父はチャールズ・チャップリン・シニア、母の名前はハンナ・チャップリン。チャップリンはヒロインに母の名前をつけたのです。
「チャップリンは映画の中で、劇中のハンナに語りかけながら、(亡くなられた)ご自分のお母さんに語りかけているのです」・・・昔、映画評論家の淀川長治さんか荻昌弘さんがそう教えてくれました。だから私は名演説と言われるシーンよりも、その後のハンナへの語りかけるシーンが強く印象に残っています。
古の映画は本当に良い。