R

ナサリンのRのレビュー・感想・評価

ナサリン(1958年製作の映画)
4.5
久々に3回目見て、翌日4回目見ました。2回連続で観るといろいろハッキリするので面白いね。本作にはブニュエルのクリスチャニティに対する懐疑的な面が出てはいるけど、それ以上にかなり色濃くヒューマニズムが強調されてた。主人公はメキシコの貧民街に暮らすナサリオ神父。彼は自分が最低限生きてける分だけ消費し、それ以外は全て貧民や障害者に施すという模範的クリスチャン。ある夜、従姉妹を殺めてしまったから匿ってくれとすがってきた厚化粧で怪物のように醜い売春婦アンダラを、言われた通りそこそこ長い間匿ってやるのだが、そのことが教会に知れて聖職権を剥奪され、流浪の旅人となる。その頃には売春婦はすっかり改心し、気の強い素直な信心深いおばさんになっていた。で、ナサリオ神父さん、人が良すぎていろんな人にいろんなものを取られながら放浪してるねんけど、旅の途中で、美人で敬虔なベアトリスと改心したアンダラが彼に加わることに。そこから彼らの信仰心が試される出来事に遭遇していく…という流れで、いかなる宗教であっても必ずある程度は問題となる、奇跡と受難がメインテーマとなっている。すごい幸運なことが起こると人間の信仰心はるんるんで強まり、ネガティブな状態を打破できない状況が延々と続いてしまったとき信仰心は猜疑心に変わってしまうものだ。ナサリオ神父は、運命に流されるまま、おそらくはそれが神の意思であると信じて、抵抗することなく、感情的になることなく、まさにlet it beに進んでいくのだが、そうこうしてると、どんどん物事が不如意な方向に転じていく。要は受難的感じになっていくんやけど、待てよ、これって宗教的な受難と呼ぶべき状況なのか?という疑問がだんだん湧いてくる。少なくとも、大いなる難に遭った世界的な宗教者たちは、みな、世界を変えたいという願望を燃やし、他者に社会に働きかけていった人たちである。流れのままに生きてたらロクなことになりませんでしたってのは、主体的な人生を生きることをしなかった人なら、信仰心なるなしに関わらず、誰にでも当てはまることだ。なので、この神父は、神父でありながら、一般人と大差がないということになる。すべてあるがままに、という思想のために、忍耐力がすこし強かっただけだ。それが、どういう末路を辿っていくか。これは話として非常に面白い。ベアトリスに関しては、愛する男にただ従順で、好き放題振り回されてきた過去があり、これも周りの状況に心が隷属していることのひとつの表れである。その後彼女の心を引っぱるのがたまたま神父さんになっただけ、神父さんとしては引っぱるつもりもないままに笑。なのでこちらも大変に興味深いエンディングを迎えます。で、3人の中でいちばん面白いのがアンダラ。この人は、自分の過去の罪に追われてはいるが、他のふたりとは違って、自分が信仰を通していい方向に変わった確かな経験があるためか、自分が信じるものを固持し、邪魔するやつは何とかして撃退しよう、という気持ちがある。そして、強く愛を求め、嫉妬し、敵を憎む、という風に自分の中から自然に湧き上がってくる感情に素直であり、それをはっきりと自分で処理できている。それは本作のなかで非常に生き生きとしたエネルギーの発露として描かれていて、どうしようもないけど、どこまでもヒューマン。それに比べて、他の二人の輝きを失ってモヤモヤした感じは、見ててつらいものがある。ラストシーンのあの逡巡、あの表情に、ヒューマニズムを否定し運命に盲従するクリスチャニティの呪いを見ることができる。でもその二人をただ切り捨てるのではなく、人間としての彼らに同情的に心を寄せてる感じが、何とも言えない感慨をもたらします。そして、もうひとり、非常にいきいきと魅力的に描かれるキャラクターが出てくるんやけど、そいつ見た目は何とも不細工なのだが、アンダラ同様、内からわき出るヒューマニズムの魅力に胸打たれるのですね。ブニュエルが、神ではなく、泥くさい人間の輝きをみごとな悲劇の中に描き出して見せた名作でしたね。
R

R