ベイビー

乱のベイビーのレビュー・感想・評価

(1985年製作の映画)
3.6
先日、マーチン・スコセッシ監督の「沈黙」を観ていて「外国人監督にしては日本のことをもの凄く分かってくれている。というか、黒澤映画にどことなく雰囲気が似ている」と感じていました。

今回、それを確かめるべく、黒澤明監督最後の時代劇映画であるこの作品を観てみました。

結論から言えば、やはり通じるものがあると思います。たとえば、色彩、画角、土と煙りのコントラスト、蝉の声…

今回こうして、粒立てて黒澤明監督の演出を確認し、黒澤演出の凄まじさを感じられたのも、スコセッシ監督が導いてくれたおかげです。やはり、巨匠は巨匠の細かなところをしっかり観察しているんだな、と感じることができました。

さて、今回の作品はシェイクスピアの「リア王」を土台に作られた物語。

戦国時代、地域一帯を治めた一文字秀虎は、70歳の祝いの席でうたた寝をし、悪夢を見ます。目覚めた秀虎は突然隠居を表明し、3人の息子に三本の矢の逸話を用いて、今後は3人で協力し、この地を治めよと命じます。この一言から、一文字家の転落が始まります…

撮影中、黒澤明監督は「秀虎は自分のことだ」と漏らしたそうです。

もうこの頃では、資金調達の関係上、日本単独で映画を作らせてもらえず、外国との共同制作が余儀なくされます。日本人として、日本の映画で天下を取ったはずなのに、その日本で自由に映画が作れないなんて、本当、皮肉なものです。

確かにこの作品からも、巨匠の黄昏のような哀愁が漂っているように感じます。実質、この作品が最後の時代劇映画になったこともそうですが、やはり全盛期のモノクロ映画の時代と比べて、情緒を意識し、ゆったりとした能のような演出が目立ちます。

ゆっくり・静か=重厚=高級。というものが、イメージ戦略としてのセオリーですが、黒澤明監督の全盛期は、スピーディー+重厚=娯楽映画を作っていたはずです。

映画で天下を取って、"巨匠"と呼ばれ、腫れものを触るように扱われる。本当、悪夢としか言いようがありません。

この作品で黒澤明監督は、"巨匠"としてのブランドを保ちたかったのか、"最高"の映画を世に残したかったのか、その答えはただ一つ、「秀虎は自分のことだ」という一言に隠されていると思います。
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