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乱のMOCOのレビュー・感想・評価

(1985年製作の映画)
5.0
「もう二度と一人になるのはいやじゃ」(鶴丸)
「そなたは一人ではありません」(末の方)


 レビューのため、あらためて観ましたが30回以上は観ている映画です。
「乱」は巨匠の映画だけに、画面に圧倒されがちですが、ラスト知らず知らず石垣を死に向かって歩く鶴丸のシーンに込められた黒沢明監督のメッセージを見逃してはいけない映画です。

「全ては前世の宿縁(しゅくえん)、何事も御仏の御心、(大殿様を)恨んでおりませぬ」と、父母を殺し弟・鶴丸の目を潰した大殿様(仲代達矢)に語る末の方(宮崎美子)に「仏などおらん」と言う大殿様。

「もう二度と一人になるのはいやじゃ」とすがる盲目の鶴丸(野村萬斎)に「そなたは一人ではありません」と阿弥陀さまの絵姿の掛軸を渡す末の方。

 大殿様と和解した一文字三郎直虎(隆大介)が鉄砲に倒れそのショックから命を落とした大殿様を目の当たりにして「この世に神も仏もいないのか?」と天に叫ぶ狂阿弥(ピーター)。

 家臣・鉄修理(井川比佐志)の計らいで、断ち消えたと思っていた楓の方が要求していた末の方の生首が、楓の方を切り捨てた直後、鉄修理のもとに届けられことばを失くす鉄修理。

そしてラストシーン・・・
 帰らぬ人となってしまったとは知らず姉ぎみ末の方を待つ鶴丸が、城跡の石垣の上で足を踏み外しそうになると、身代わりとなり落ちていく阿弥陀さまの絵姿の掛軸。

 一文字家に一族を滅ぼされた楓の方の一文字家への復讐劇を、これでもかこれでもかと神も仏もない長い長い映像で観せておきながら、一軸の掛け軸を鶴丸の身代わりにして石垣から落とし、描いてきた話を全否定する巧みな演出。
 楓の方と同じように人身御供として嫁がされた末の方の清い心と、弟鶴丸と掛け軸を使い「神も仏もない無慈悲とおもわれるこんな時代でも、たとえどんな時代になったとしても、『未来永劫人は神や仏に見守られて生きている』」という映画の主題に気付くまで何度この映画を観たことか……。


 黒澤明監督は女性の描き方や、恋愛の描き方が苦手なのか、この映画の難点は気性の激しい楓の方(原田美枝子)に魅力も感じることなく、物語が進んでいくことです。
 人間的魅力に欠け、支配力の強い楓の方に、一文字次郎正虎(根津甚八)に性的欲求が生まれることが理解できず、さらに末の方から楓の方に正室を変える理由が見えないのです。
 末の方とは対照的な楓の方がもっと丁寧に描かれていれば、映画はもっともっとおもしろくなったと思います。

 黒澤明監督のカラーの時代劇「乱」「日照り雨(『夢』第一話)」「桃畑(『夢』第二話)」は、良質な物語と、色使いの美しさ、絵画の様な景色の中の人・景色の中の馬、感情の様な雲……と、美術力の高さを感じます。

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