Naoto

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊のNaotoのレビュー・感想・評価

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995年製作の映画)
4.0
"童子(わらべ)の時は語ることも童子の如く
思うことも童子の如く
論ずることも童子の如くなりしが、
人と成りては童子の事を棄てたり"

(コリント前書/新約聖書)

作中引用されるこの言葉、
めっちゃかっこいい。

そして、人と成りては童子の事を棄てたりとはどういう意味なのか。

広義に見ると、多分この駄文を僕が書いている事。

一昔前ならば、このように一介の青年が駄文を吐き散らすような事はなく、一部の教養人が、一部の教養人に向けて、紙幅を割いていた。

ところが時代は流れ、フィルマークスというアプリができ、僕は駄文を吐き散らす。

フィルマークスと成りては紙を棄てたり。

人と成りては童子の事を棄てたりとは、ある事を再定義し、従来の様式を撤廃する事。

それを狭義に、文字通り人が従来の様式を撤廃したら?

例えば肉体を捨てて、機械の中にゴーストを入れる。

はたしてそれは、生きていると言えるのだろうか。

これが本作のテーマだと思う。

入学式などで新生活が始まる時、"あぁこれから新しい生活が始まるんだな"と、ちょっぴりの不安と期待を胸に抱くと言うことは誰にでもある経験だと思う。
それを文字通り、新しい生き物として、新しい生活を始めるのだ。

その時に抱く感情は、
「恐れ、不安、孤独、闇、それから、もしかしたら希望」(草薙)

人と成り、童子の事を棄てる事が如何に困難かは想像に難くない。

翻って、昨今の情勢の中で生まれたリモート飲み会やリモート会議を見てみるとどうだろう。

対面している第二者にとって、自分という存在は、パソコン画面の中に押し込められている。

言い換えると、機械の中にゴーストが押し込められている。

まるで本作の様な様相を呈してくる。

withコロナという時代は、或いは童子の事を棄て、人とは何か、新しく再定義する必要に迫られる時代でもあるのかもしれない。

「さて、どこへ行こうかしらね。ネットは広大だわ。」(草薙)

取り敢えず僕は、先日見終えたばかりのアニメs.a.cシリーズの2週目に行く事にしようと思う。

だって、僕のゴーストがそう囁くのだから。


ps.上述のコリント前書の引用文の続きの文、"今我らは鏡をもて見る如く見るところ朧なり"から連想して作られた、ベルイマンの"鏡の中にある如く"と合わせてみると面白いかもです!
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