『太陽は光り輝く』を観るために『プリースト判事』を観る。なんとも言いがたいものがあり感想を書けずにいた。南部の遺恨というものが去りゆく老人の思い出ではなく25年後の1890年にも賞揚される作品は、或るところでは現在までも極端なかたちで脈々と受け継がれてることをうっすらとでも知ると、この最高に祝祭的なラストをどう捉えていいのかと思ってしまうところはややある。ハティ・マクダニエルやステッピン・フェチットの「積極的な従属」もまた同時に。
とはいえこの作品は音の映画としても素晴らしい。ハティ・マクダニエルの歌唱や彼女に重なる女声コーラスはもちろんのこと、ステッピン・フェチットのブルースハープ、そして元南部兵の陪審員によって何度も吐き捨てられるガムが金属の痰壺を打つ音といったジャック・タチ的な音あしらいまでも。そして毛皮と白いベストを着込んだフェチットと黒人たちによって奏でられるディキシー・ランドが法廷を盛り上げるBGMとして仕込まれ(『カリフォルニア・ドールズ』でピーター・フォークが使った手法!)雪崩のように祝祭を解き放つラストへつながる。しかもクライマックスの長台詞はヘンリー・B・ウォルソールに譲り、トム・ブラウンの恋の行方を後押ししたときのようにあくまで黒子役にまわるウィル・ロジャース。
ウィル・ロジャースが窓外の若い二人を見やる。南部の軍服を着た若い男性と裾の長いドレスを着た女性の姿がオーバーラップする。室内の暗闇に蝋燭の火を灯すと、女性と二人の子が写るポートレートがあり、その額にロジャースの顔が映り込む。たった数十秒で、ウィル・ロジャースの現在から恋人だったころの自分と妻、家族となった妻と子ども、そして現在の自分へとつながれる演出。