こうん

グエムル -漢江の怪物-のこうんのレビュー・感想・評価

グエムル -漢江の怪物-(2006年製作の映画)
4.5
公開当時、みんな「グムエル!グムエル!」とガチで間違って呼んでいたけど(「ムニエル」と似ているから)、もういい加減間違えないぞ「グエムル」!
いやー久方ぶりにスクリーンで観ましたね、ありがとう早稲田松竹様。

なにはなくても「グエムル」は社会諷刺映画でも家族映画でもなく、怪獣映画なんだから、なるべくデカいスクリーンで観るのが大正解。
うちの100インチのテレビ(嘘)でも物足りないし、ペ・ドゥナのジャージ姿は大画面で拝観したいです。
あのジャージはポン・ジュノ自らサイズ感までこだわって作ったそうです、そのこだわりは今書くと変態(ウェイン&ガースの著作情報)ですけど、ま変態ですよね、知ってます。

久しぶりに観ましたけど、もはやアカデミー賞受賞監督となったポン・ジュノの作家性というか嗜好性がピュア―に表出した映画になっていることに改めて気付かされました。

つまり、絶妙に歪んだエンターテインメントのストーリーテラーとしての資質と、どストレートな映画演出家としての才能の表出と融合を、この「グエムル」に見るわけです。

白眉だらけの映画ではあるんですけど、まずあの冒頭の“グエムル”ちゃんの登場シーンですよ。
ゴジラ然り、エイリアン然り、モンスターは暗がりから、徐々に徐々に姿を現すのが定石ですよ(ホラー映画も基本そうです)。凡百のシナリオライターも演出家も、まぁそういうプランを考えますよ。
しかしポンは違った。
もったいぶらずに!白昼堂々、モンスターを出しよった!
当時、みんなその潔さと心地よいセオリー破りに快哉をあげたものですし、久しぶりに観てやっぱり「やったぁ」と手を叩いちゃいましたね。
(しかも男性器をモチーフとしたギーガーのエイリアンの逆の発想の造形のモンスター)
しかしその怪物出現の映画的呼吸の見事さと言ったら!
出現前のまったりムード演出との落差に加え(スルメイカがまた暗示にもなっている)、画角の切り方、視線の誘導、間、ピントの送り方、そしてグエムルちゃん登場!
そしてその全体が醸し出す、どこか間抜けたユーモア感。
もう、デカい飼い犬が暴れてます!くらいのカジュアルさで登場させる映画的呼吸と演出の見事さですよ。
同時期に怪獣映画を企画していた黒沢清の「水虎」が実現しなかったのもこの映画の存在が遠因ではないのか、と思ってしまうほど、王道かつ異才溢れる怪獣映画の登場だったわけです。

歪なんだけど王道、でもやっぱり歪。というポン・ジュノの作家性とバランス感覚が、怪獣映画に横溢しているのを堪能したわけです。
あとちょっと、コミック的なんだよね。キャラクターといい、画のセンスといい。
それがきっちりと映画として機能しているところが心強いです。

いやー、あそこがいいここが素敵、あの描写は毎回やるよね、とか、あんた変態や!といいたいところとか、やいのやいの言いたいけど花粉で目がかゆいのでこのへんで。

久しぶりにパク・ヘイルの地べた座りからのドロップキックが観れてよかった。
あと初めて気づいたんだけど、後半に出てくる「ウィルスなんかいないの知ってるし」というアメリカ側の学者、この斜視の俳優さんをどこかで観たことあるなぁと思ったら、「羊たちの沈黙」(通称ひつちん)で、クラリスに協力して蛾の種類を特定する人だ!と思って調べたらやっぱりそうでした。Paul Lazarという俳優さんでした。
ということが分かって、今夜も酒が上手い。
グムエル最高。ペ・ドゥナはもっと最高。
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