教授

ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォーの教授のレビュー・感想・評価

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知識としては知っていても、それが結局定着していないと本当に意味がないのだなぁと、本作を観ていて改めて思った。
知っていたようでよくわかっていなかった「ヌーベルバーグ」の成り立ち。

現状の映画業界に「批評家」として、辛辣に批評していたゴダールとトリュフォー。
結果、自分たちでつくってしまい、世界の映画史を変えてしまう。若い観客は狂喜するし、保守的な層からはバッシングを浴びる。
その熱量の高さと勢い、まだ「映画」に対して純粋な期待と好奇心が残っている時代の素晴らしさが本作には切り取られている。

まったく違うものだからこそ、惹かれあい、讃えあい、同じ目的に向かって共闘もできているのは「若さ」ゆえ。
やがて、それぞれが認められ、存在が大きくなるにつれ、互いの差異が大きくなっていく。
映画を政治言語化していくゴダール。それによってより、他社からの共感を排除して、自身もよりめんどくさい人間になっていく。
一方で、政治と芸術を切り離し、普遍的で庶民化していくトリュフォーもまたそれ故にセンシティブさを喪失していったのかもしれない。

それでも、手紙なんかを書いちゃうし、文句を言いたくなってしまうのが可愛らしいというか、微笑ましいというか、何よりもやっぱりめんどくさい。

そして本作は劇映画ではなく、ドキュメンタリーなので。ふたりの関係は劇的に修復したりしない。
トリュフォーはこの世を去ったし、ゴダールは旧い友人たちとの交流を絶ち寂しい人生を「選択」したまま戦いを続けている。

まるで落語の「子は鎹」のように、ジャン=ピエール・レオで締めくくる辺りがニクい。
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