三四郎

新女性問答の三四郎のレビュー・感想・評価

新女性問答(1939年製作の映画)
4.7
原作小説のないオリジナルシナリオでこれほどのものが作れたら文句無しの傑作!あゝ涙の辯論も美事!もう少し桑野通子が熱く激しくダイナミックに語ってくれたら、もっともっと感動的だったのだが…ちょいと迫力に欠け、理知的になって大人しく感じる。こう感じるのは、私がアメリカ映画の名調子名演説に慣れてしまっているからだろうか?なんだろうなぁ、長台詞を覚えて話すのに必死で単調になってしまい感情がこもっていない。しかしまあ、この映画の人物設定からすると、こうゆう一本調子のある意味聡明そうな演説の方が良かったのかしら。あまりに良い作品なのでこのクライマックスだけがどうも口惜しい。

見所は明朗闊達の台詞回し!軽快な若い女学生たちの語らいを描かせたら松竹大船調の右に出るものはないだろう。
見合いか恋愛結婚かが話題の中心で、見合いでは落胆で、恋愛結婚こそが憧れの対象。恋人の有無も重要となっている。そしていつの時代も変わらぬように見目麗しい好男子か否か友人同士で問い詰める。
結婚相手の写真を三宅邦子に見せてもらい、回し見した後「75点ってところね」「私は80点つけてあげる」など言い合う。そしてこの映画の歌謡映画とも言えるところは「純情の丘」を重要な場面で大学仲良し仲間が集まれば歌うという演出である。
ホットニュース、どうせ持って来るんなら ホットドッグ、ここのシーン好きだな笑
ホットニュースの内容は、「隠し球がある」(恋人がいる)はずだと怪しまれていた水戸光子にやはり隠し球があり、結婚することになったから、仲良し6人組(三宅は結婚してすでに脱退している)に報告するということだった。
ここでも仲間の1人から好男子かどうか責められる。生涯一緒に暮らすから重大問題と言うのだ。しかし、それは違う 好男子だって噺家だって構わない 汚れたのより綺麗な方がいいが 問題は精神だ と言ってのける者もおり、さらに他の友人が その通り 容貌で男性の価値が決まるわけではないと加勢する。
兎に角、女学生たちの会話がノリに乗っておもしろい!休日の寮シーンも笑わせてくれる。

姉(川崎弘子)が芸者であることがバレた時、姉や芸者仲間が下宿へ来て、これからも変わらず妹(桑野通子)と付き合ってくれと頭をさげにくる。しかし、「芸者大嫌いよ 軽蔑するわ」と普段から言っていた芸者嫌いの大学仲間に撥ね付けられる。そして妹を自分たちのグループに置いときたかったら「今のご商売やめていただきたいわ」とまで言う。そこで姉の芸者仲間で最も意気盛んなものが言う科白が見事だ。
「お姉さん もう頭下げても無駄だわ もうお願いしませんわ お願いしませんけど これから時ちゃんに余計なこと言うのもよしてくださいね」 「あたしがなんか余計なことを?」
「言ったじゃありませんの 学校辞めろのなんのって 時ちゃんの学費はお姉さんが稼いでいるんですからね あなた方から一銭だっていただいてるわけじゃありませんわ 辞めようと行こうと余計なお世話じゃありませんか 」
「梅ちゃん」
「いいわよ 言わしてもらうわ 芸者がどうのこうのって 芸者がなぜ悪いんですの 誰だって好き好んで芸者してるわけじゃありませんわ みんな深い事情があって…親の脛をかじって呑気に学校行ってらっしゃるあなた方には 学問はあっても世間のことはわかりゃしませんわ キリストだかお釈迦様だか知らないけど生意気なこと言わないでちょうだいよ 姉が芸者だからつきあわないなんて そんな薄っぺらな友情だったらこっちから熨斗を付けてお返しするわ あなた方がいなくたって 時ちゃんには私たち芸者がみんなでお友達になってあげるわ 芸者にはあなた方のような薄情なものは1人だっておりませんからね」それに対して「不愉快だわ」と大学生仲間達は出て行く。芸者梅の方も「言い過ぎたかしら」「お友達の方みんな怒らせてしまって」「私バカだから興奮して」などと悔やんでいる。それも通子のためなのだ。姉の芸者仲間は、通子の勉強のため夢のために部屋を貸し世話をする。
きついことを言った大学仲間にもわけがあり、彼女の父親は芸者に昔騙されたらしいのだ。そして母と自分は嫌な辛い思いをしたと。

通子が部屋で熱心に勉強していると芸者梅が「キリストなんかに負けるな」と言って応援する。これには笑えた!

芸者は団結心強く、義理人情に厚く描かれている。したがって、散々大学仲間が芸者を軽蔑し人間扱いしていない発言をしようとも、映画の中では芸者と大学仲間の言い分は五分五分となり、うまく仕上がっている。大学生仲間の発言だけ聞いていれば、それが世間一般の常識だとわかっていても、「この映画芸者たちには見せられないな」とまで思わせてしまう辛辣なものだ。
最終的に「実社会に出てわかった」と、芸者と西欧式教育を受けた女学生が互いを受け入れ和解する。こうして「純情の丘」を芸者の三味線に合わせ、女学生たちが歌うのだ。
川崎は古風な尽くす日本の女性を体現、通子は新しい時代を生きるモダンなインテリ女性を体現している。

晴れて弁護士となった通子は
「私 結婚するかもしれないの 略
結婚しても仕事ができないってことはないし」
水戸
「賛成だわ仕事も大切だけど女はやっぱり主婦の務めが大事だと思うの 仕事仕事って結婚しない人があるけど軽蔑すべきだわ」
最後の場面では、好男子か否かを言い、大の芸者嫌いだった仲間の1人が結婚する気になる。
「私 結婚したくなっちゃったわ
旦那様なんか欲しかないけど赤ちゃんが欲しいの 可愛いじゃないの」
これは7人会ピクニックのラストシーンで、三宅の赤ちゃんを見つめながらの会話である。
キャリアウーマン、独身主義など、現代から見ても遜色なかったが、最後は産めよ殖やせよ皇国のために となるのかな。
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