継

ロング・グッドバイの継のレビュー・感想・評価

ロング・グッドバイ(1973年製作の映画)
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原作小説は学生時代に背伸びして読みましたが, 今作とはかなり違ったように思います.例えば、
・50年代だった舞台が70年代に変わっている
・最初の猫さん🐱や隣人さんは原作には出てこない
・友人テリー・レノックスとの出会いや会話が大幅に省かれた結果,マーロウとの絆が希薄に。隣人やアイリーン同様, 猫に例えたように自分本位な, 単純にイヤな奴に成り下がってしまった
・老作家ロジャー・ウェイドの死因を殺人から自殺に変えている
・結末も全く違う
・小説の名翻訳セリフとして有名な「ギムレット〜」「わずかな死〜」「警察とさよなら〜」は出てこない
・マーロウ像が小説より若く, タフと言うより物腰柔らかww

これに加えて, 今作は字幕にも問題を抱えていて,
・「マーロウ」ではなく「マーロー」
・自分を「私」ではなく「僕」と呼ぶマーロー
・クライマックスの台詞 「Yeah, I even lost my cat」 を「そうかもしれん」とざっくり意訳して, 本来感じられたハズのマーロウの苦い感傷と冒頭の猫シーンへ帰結する円環構造を打ち消してしまっている。

「僕」と呼ぶのは一人称の書き言葉(小説)と会話の話し言葉(今作)の違いもあるし, グールドに「私」と言われても何かくすぐったいwwから別にいいんだけど, 清水俊二氏の翻訳=その世界観に慣れ親しんだ小説ファンとしてはやっぱり「マーロウ=私」。因みに「俺」と呼ばせてる翻訳者も違う出版社にいるんだけど評判は良くないようで…

こうした経緯も踏まえて, 愛憎が入り混じる今作。
清水氏が自らの言葉でチャンドラーを訳したように, アルトマンも独自の意匠をもって描かんとしただけでそれは全然構わないんです。 要はそのアウトプットとしての翻訳〜字幕化があまりに杜撰という事、こんなのプロの仕事じゃありません。

幸いというか, 現在発売されてるBlu-ray(CCジンジャーエディション)の字幕は「マーロウ」で,台詞↑もしっかり訳されてるようだけど,
amazon見ると特典diskに “リップ・ヴァン”・マーロウ”とあってアルトマン本人がネタバラシしてるんだろうか?コワくて観たいけど買わずにいる(^O^;)。
岩井俊二が『リップヴァンウィンクルの花嫁』って映画を撮ってるけど, 元々リップ・ヴァン・ウィンクルとはアメリカ版浦島太郎みたいな話の,目が覚めたら現代へタイムスリップしてたという主人公の名前なわけで…。

面白いのは、
色んな変奏があるテーマ曲は, ロジャー邸の呼び鈴までこのメロディで笑ってしまうんだけど,
ストーリーの最初と最後で流れる劇伴「ハリウッド万歳」は,ハリウッドを称賛してるんじゃなく上辺だけの虚栄に群がる人々を皮肉った歌詞。
この曲にのって踊ってみせるシーンは “コレが(小説とは違う)ハリウッド流さ”と自虐的におどけて見せるようなラストになっていて, いかにもアルトマンらしい締め括りになってます(補足※1)。

ヘミングウェイを彷彿とさせる老作家ロジャー(髭をたくわえた風貌と酒呑みの大男で,晩年は筆力が衰えている)の死に方まで自死に変えてなぞらえ, わざわざ1つのエピソードとしたのは, ヘミングウェイの死が当時のアメリカ人にとって1時代の終焉(=Long Goodbye.)を痛感させるものだったからかな?なんて思ったりも(補足※2)。


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原作小説の清水俊二氏による翻訳は, 単にチャンドラーの文章を訳しただけじゃなくて, ハメットを継承するハードボイルドの世界観や空気, 様式美みたいなもの自体を翻訳したものだと個人的には思っていて。上述した名翻訳はプロフェッショナルなその結晶だと思うわけです。
「大手術を受け,体中に点滴チューブを付けた満身創痍の病室で, 亡くなる前日まで翻訳を続けていた…」(『高い窓』翻訳を引き継いだ戸田奈津子氏がその訳者あとがきに代わって綴った文章より)
遺された『高い窓』原稿の最後のマスは「彼」と書こうとした行人偏「彳」でぷっつり終わっていたらしい。
小手先の技術ではなく, あの文体には清水氏の生き方そのものが息づいていた事をまざまざと物語るエピソード。

生前は一度も会えずに一足先に鬼籍に入ってしまったチャンドラーとは会えましたか?
楽しく談笑しながらギムレットを酌み交わす, 二人を思い描いてー。
継