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大統領の陰謀のkoyaのレビュー・感想・評価

大統領の陰謀(1976年製作の映画)
4.5
今まで観た中で一番硬派な映画かもしれません。
今でもアメリカでは大学のジャーナリズムの授業で学生たちにこの映画をみせるそうです。
それだけリアリズムに徹した映画。

音楽らしい音楽はなく、その代わりカタカタガタガタというタイプライターの音で始まり、タイプライターの音で終わります。
2人のワシントン・ポスト紙の記者、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンは常にタイプライターに向かっています。

私はこの映画が公開されたとき、中学生でした。
映画を観るようになったものの、この映画は中学生にはねぇ、無理でしょう。今の私でもこれはこれは硬派、と思うもの。

この映画で扱われているニクソン大統領時代のウォーターゲート事件は小学生のころで、さすがにかろうじて名前だけ憶えているくらい。
若い人は映画を観る前に、ウォーターゲート事件の事をある程度、調べておくといいです。

ロバート・レッドフォードはまだ新聞社に入って9か月の新人、ダスティン・ホフマンはもうベテランですが、ある侵入事件を発端に政治的な賄賂事件へとつながりを見つける。

いかにも働き盛りの2人はもう昼も夜もなく駆けずり回る。
新聞記者、ジャーナリストというものは肉体労働であることがよくわかります。
感傷的な部分は一切排除してしまっていますから2人のバックグラウンドや家庭など描かれません。
バディフィルムかもしれないのですが、だんだん仲良くなっていく2人を描く映画でもないと思う。

ひたすらジャーナリストというプロ意識を持つ、ということはひたすら駆けずり回り、証拠を探し、真実を探すという、ただの「かっこいい」仕事ではないのですね。

それをよく現しているのが、2人のワイシャツだと思うのです。
不潔ではない、でも、ぱりっと糊のきいたかっこいいスーツ姿ではありません。

ネクタイは緩め、背広はややくたびれていて、時々ズボンからシャツがはみ出ている。時にはシャツにはしわがより、汗じみている。
本当に「働いている人」の身なりで感心してしまいました。

硬派な映画なので、恋愛もわかりやすい悪者も出てこないけれど、さすがTOHOシネマズの新・午前十時の映画祭で選ばれた映画。
名画だと思います。
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