くりふ

プレシャスのくりふのレビュー・感想・評価

プレシャス(2009年製作の映画)
3.5
【あたし書く、ゆえにあたしあり】

プレシャスが読み書きを学ぶ結果が、そのまま成長の証となる原作(モノローグの表現力が劇的変化)をどう映像化するのか興味あったのですが、潔くその構造は無視されていました(笑)。

素っ気ないくらいストレートなドラマ演出。それでもあちこち、観客に解釈を委ねるつくりにはなっていますね。余白はわりに多いと思います。

原作タイトル「プッシュ」って、プレシャスの愛称かと思ったんですが、読んだら「いきむ」「ふんばる」の意で、物語の鍵となる台詞でもありました。ところが映画ではこれ、出てこないんですね。…聞き逃したかもですが(笑)。

少なくとも、プレシャスに勇気を与える看護師の、大切な台詞として出ない。映画ではL・クラヴィッツが演じる人物ですが、彼の台詞は「いきめ!」でなく、「喚くな!」です。正反対(笑)。いい味出してるいい役なんですが、壁がある。

後でパンフを読んだら「男性嫌悪」とする評が載っていて、少し驚きましたが、本作に登場する数少ない男性は、添え物か悪者ばかり。これは面白かった。確かに嘗てのハリウッド映画に登場した女性の役割と、逆転が生じています。問題解決をするのは全て、女同士。もう男は要らん、とでも言い出しそう。

ゲイの黒人監督によるこの逆境ガールズ・ムービーは、生々しく厳しい題材をフラット化し、不思議なトーンで呑ませて来ます。なんとなく、日本茶を飲まされた気分。…でも、思い出すと苦みがある。

まずフラットたらん、というのは、本作のポイントな気がします。文章の代わりに淡々と、映像で綴っているようだ、とも思えてきます。代替学校のレイン先生が、プレシャスに教えたのはまず、自身を書くという行為による、この感情整理術でしょうか。

どんなに厳しい状況でも、書くことで心の波を一旦、フラット化すること。そして、書いてゆくことで自分を見つけて、再構築してゆくこと。

書くことを知る前のプレシャスは、夢想を心の避難場所にしていました。それを形にしたのが、あの赤いスカーフなのでしょうね。やがて鏡の中に、等身大の自分を映せるようになった彼女が、スカーフをどうしたか? という辺りが、原作と違う成長の証なのでしょう。

そして彼女の笑顔が、すごくいいんです! これも映画ならでは、ですね。大魔神の変身くらいのインパクトがあります。いやもちろん、逆の意味で。

怒った大魔神顔に固まっていた彼女が、ある出会いから一気に、破顔します。これ、ちょっと泣けました。この笑顔は嘘をついてないなあ、と思ったし。大魔神顔は、家庭環境から作られてしまったものでしたが、その母親を演じたモニークさん、後ろ向きにお見事でした。

キレて娘に悪態をつきまくるシーン、あれ、ラップに聞こえてしまって。DMCクラウザーさんと勝負できるくらい、Fuckを連発してましたが、黒人の貧困から生まれた音楽だというそれの、ルーツをまんま見た思いです。

本作の時代設定、1987年の背景としては、レーガノミックスの影響で、黒人社会での所得格差が広がり、前例のない二極化が進んだそうです。プレシャスの母は、明らかに下、の方に回ってしまったのでしょうね。

ロクデナシですが、しかし彼女だけを責める気にはなれません。最後の台詞を聞いていると、まだ間に合うんじゃないか、とも思います。だから、そんな母親を跨ぐように、乗り越えんとするプレシャスに、今は自分と子供のことで、いっぱいいっぱいだろうけれど、ちょっと気を回して、レイン先生を紹介してあげてよ、と思うのでした。

代替学校は大人も受け入れるそうだし、あの先生も受けてくれる気がする。

…と、フラットな作品と思っていたのに、書きたいこと、色々出てきました。まだまだあるのですが、このへんで終わりにいたします。

<2010.6.24記>
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