さすらいのエマノン

ゴッドファーザーのさすらいのエマノンのレビュー・感想・評価

ゴッドファーザー(1972年製作の映画)
5.0
2022年で公開50周年を迎える不滅のランドマーク。

自分は当然、本作品をスクリーンで鑑賞したことは無かった。

が然し、初めてテレビ放送(日曜洋画劇場、前後編に分けての放送だったと思う)で鑑賞して以来、ビデオテープを買い求めたりして数十回も観てきた。

誰かに1番好きな映画は何? と
問われると、迷わず本作だと即答してきた。スクリーンで観た経験が無いのにも関わらずだ。

そして、いつかは此の名作をスクリーンで鑑賞したいと願い続けてきた人生であった。

先述した通り、50周年記念の年と云うことで、TOHOシネマズ梅田と西宮で3日間をようして三部作の4Kリマスタァ版が上映されると知った。勿論、チケットを買い求めようとした。
が然し、あっという間に席は総て埋まってしまい、夢は叶わぬ様に思え、肩を落とした。

だが、日頃の行いなど決して良いとは云えない自分に、映画の神様は何故か微笑んでくれた。

『Yahoo! japan』の記事を漠然と読んでいた7月のある日、その僥幸は舞い降りた。
神戸の新開地にあるミニシアター、『パルシネマしんこうえん』にて、三部作一挙上映イベントが挙行されると云うでは無いか!!

即座に劇場に電話をし、席の有無を尋ねると「有りますよ」とご返事。但し、webではチケットを販売していないので直接、買いに来て欲しいと云うことであった。公開前日の木曜日だ。有無を言わさず、新開地へと向かった。そして、チケットをゲットした! 

10代前半から抱き続けた夢が叶ったのである!

鑑賞したのが2022年7月29日。

コルレオーネ・ファミリーの血の気の多い長男、アンソニオ・コルレオーネ役を演じて下さったジェームズ・カーン氏が亡くなられたのが同年7月6日。僅か数十日後の出来事であった。

シアターのスクリーンで初めて観た“神作品”には、新たなる発見が幾つもあった。

まずは、言わずがもがなのライティングワーク。闇の世界に生きるコルレオーネファミリーを表現するため、室内は薄暗く、窓から差し込む光によってファミリーの姿を浮かび上がらせている。
此れが大スクリーンで観ると、なんと際立って観えることか!
まるで、レンブラントの絵画のようである。驚愕した。

そして、主要なアクター達は皆、自分よりも遥かに年下になっていた。此れは予め分かっていたことであるが、ドン・コルレオーネを演じたマーロン・ブランドでさえ、遥かに若い青年であることを嫌と言う程、認識させられた(往年のハリウッドスターとは此のような異様とも云える姿形を持っていたのか! と思い知らされる彼のどこまでも広い肩幅! 凄い! と初めて感じたのでは有るが)。

素晴らしい演技メソッドと、特殊メーキャップの巨人、ディック・スミスにより施された老人メイクにより、自分よりも年上のマフィアのボスを演じるブランドなのであるが、処々に若さが垣間見える。
一番、顕著にそれ感じとれたのは、敵対するファミリーの放ったヒットマン達によって狙撃されるシーンである。キャメラは、俯瞰ショット等を駆使し、このシーンを捉えるのであるが、撃たれて倒れ込むブランドの動きは老人のそれでは無い。若々しい。

そして、後頭部、髪がふさふさ。此れには苦笑した。巨人ディック・スミスでさえ、手水の手から水を漏らすことがあるのかと感じた。

思ったよりもローバジェットだと云うことにも気が付いた。
当然である。若干32才の、殆ど実績のない青年、フランシス・フォード・コッポラにパラマウント社が大金を投じるギャンブル等をする分けが無いからだ。
故に画角も狭く、カット数も少ない。当時はフィルム代も高額である。豊富なショットを撮る余裕など無かったのであろうと推察される。 
けれども、此の制約が功を奏している名シーンが数多く有ることにも気づく。

最も其れを感じとれるのは、血の気の多い長男坊、ソニーが妹のコニーにDVを振るった婿さんのカルロをボコすシーンであろう。 
NYの下町、消火栓が壊れ、吹き上げる水しぶき、それに群がるガキンチョ達。此れ等を画面に入れながら、フィックスで備え付けられたキャメラは、ロングショットで二人の擬斗を捉える。ひとつのカットさえ挟まない長回しで……。

擬斗は嘘がつけない。例え、効果的なSEを入れても相手を殴り倒す様に見えなければ、観客は嘘に気付く。

其れを長回しで捉えるのだから、演者達の力量が試されるシーンだ。
見事な臨場感。もう、圧倒された。このシーンはYou Tubeに転がっているので、お暇な方は是非、確認していただきたい。

今回、人の親となって初めて観たと云うことも有り、感動のポイントが変わっていることにも気付いた。
ソニーの非業の死を、義理の息子のトム・へーガンから知らされる病み上がりの父、ビト。
「さっきから下の様子がおかしい。人の出入りも多い。妻も泣いている。何が起きた?」
「パパには今、報せようと思っていたんだ」とトム。
「酒の力を借りてか?」
「……ソニーが死んだ」
此の言葉を聞いて、途方に暮れたように口角を下げ、眉間にシワを寄せるビト。そして、諦観と共に小さなため息をつく。
自分はマスクの下で嗚咽を漏らした。人目も憚らずに肩を振るわせて号泣した。
こんなもの溜まったものじゃないと感じた。

若干32歳の若者、フランシス・フォード・コッポラが、マリオ・プーゾが書いたペーパーバックス(大衆向け小説)を元に、本物のイタリア系アメリカ人の美青年、アル・パシーノ(パチーノ)と、夭折したイケてる若禿ジョン・カザールを起用して、家族の物語に昇華させたと云うことに驚嘆。なんて、昔の人は早熟だったのだろうか。 

映画は総合芸術である。もしも、ニーノ・ロータが手掛けた、シネフィルでなくとも誰もが知る『ゴッドファーザーのテーマ』が無ければ、本作の評価は、また違うものになっていたかも知れない。要するに様々な要素が織りなした奇跡の逸品なのである。

つらつらと長文を書き連ねた。

自分の悲願であった“本作品を劇場で観る”ことを実現出来たのは、『パルシネマしんこうえん』の若き支配人様のお陰である。感謝、只々、感謝です。

現在の、総てのアクション映画の“ひな型”とも云える本作を、今の若者が観ても(刺さらない)かも知れない。其れは如何ともし難いことである。
が然し、老人達にとってはマーベル映画よりも凄いインパクトを受けた作品であることだけを分かって頂だければ幸いである。観てみてね!