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ロッキーのshitpieのレビュー・感想・評価

ロッキー(1976年製作の映画)
4.5
『ロッキー』はまず、貧しいイタリア移民の子どもたちを描いたアメリカ映画として観られるべきなのでしょう。それゆえに『ロッキー』は、『ミーン・ストリート』や『ゴッドファーザー PART II 』と並列に鑑賞されるべきなのです。

それはなぜか。『ロッキー』が 120 分のランニング・タイムの大半を費やして描き出すのは、ロッキーの練習風景でも手に汗握る試合模様でもありません。『ロッキー』のフイルムのほとんどを占めているのは、イタリアン・マフィア、というかマフィア以下の低級ヤクザの下っ端として働きながら、その傍らにジムに通う、 30 歳にしてすでにぼろぼろのロッキー・バルボアの自堕落な生活ばかりなのです。また、 70 年代のワーキング・クラスの生活を象徴するかのようなエイドリアンとポーリーの兄妹も、そのラテン系の名前からしてイタリア系移民だと考えるべきでしょう。

また、 21 世紀にこの作品を観るにあたって注目すべきは、アポロ・クリードというキャラクターです。見栄っ張りで貪欲な彼は、自らの名声と話題づくりのために、知りもしない無名のロッキーを試合相手に指名します。『ロッキー』はアメリカン・ドリームというものがこういった薄汚い欲望や悪意が渦巻くものであること、誰もが感じながらも言わないでいることを喝破して見せます。

アポロはロッキーとの試合にジョージ・ワシントンのコスプレで登場します。星条旗を身に纏い、“I want you!”と指差しながら繰り返し叫ぶことにより、戦時中の有名な兵士募集ポスターとの二重のコスプレであることを見せつけるアポロ。アフリカン・アメリカンの出自を持ち、アメリカン・ドリームの体現者である彼がこの二重のコスプレを纏っているという皮肉、そして鋭い批評性。もともとアメリカン・ニューシネマの流れから生まれた『ロッキー』ですが、それを差し置いても脚本を書いたスタローンのクレヴァーな視線に驚かされます。これは今こそ振り返られるべきファクターです。

ラストの 20 分(そう、たったの 20 分なのです)で描かれるロッキー対アボロ戦の異様な熱気は、おそろしく低予算な制作費の制限や監督、あるいはスタローンのコントロールを超えて、まさに映画としか言えないような様相を呈していきます(それは試合のシークエンスに留まらず、 70 年代のフィラデルフィアの空気をステディカムで活写した映画全体の雰囲気も含めて、です)。費用を抑えるために最終ラウンドから第 1 ラウンドへと逆に撮っていった、という事実がまるで嘘のようで、信じられません。これこそ映画のマジックでしょう。

貧しくも美しい恋人たちのラヴロマンス、そして人間ドラマでもある『ロッキー』。俳優たちの演技が光っています。タリア・シャイアの驚くべき美しさ。『カリフォルニア・ドールズ』にも出演していたバート・ヤングの名演。どれをとっても素晴らしいの一言。

『ロッキー』は不朽の名作なのだと、いつだってぼくたちは言うべきなのです。