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必死の逃亡者のぶんぶんのレビュー・感想・評価

必死の逃亡者(1955年製作の映画)
3.5
郊外に暮らすサラリーマンの家庭に、銃を持った脱獄囚たちが押し入ります。仲間から逃走資金が届くまで彼らは家族を人質に、その家に留まることを強要。一つ屋根の下で繰り広げられる、脱獄囚と家族の静かな攻防を描くサスペンスで、3人の脱獄囚のうちリーダー格の男をハンフリー・ボガートが、サラリーマン家庭の父親をフレドリック・マーチが演じています。

映画は、主にこの二人の心理戦を軸に展開しますが、いわばこの二者の対決はアメリカ社会の、ブルーカラー(労働者)とホワイトカラー(サラリーマン)の対立の構図とも言えます。それは二人の出会いのシーンにおいて、ボガートの「お前のその、白いハンカチと白い靴が気に入らないんだ」とのセリフにも表れています。大金持ちというわけではありませんが、父親は秘書を持つ企業の管理職で、二階建ての広い家に自家用車が二台。(保険のCMに出てきそうという意味での)理想的なアメリカの家庭です。

フレドリック・マーチが常にスーツ姿である一方で脱獄囚達は汚れたワークシャツや作業用のツナギ。そして脱獄囚の一人はボガートの弟であることからも、そもそもがボガート兄弟の生まれが、決して恵まれたものでは無かったことを暗示させます。

本作の邦題は『必死の逃亡者』ですが、原題は『The Desperate Hours』。 ”Desperate”には、〈自暴自棄の、捨てばちの、死に物狂いの〉と言った意味の他に、、〈(…が)ほしくてたまらなくて、たまらなくて、(よくなる)見込みがない、絶望的な〉という意味もあるようです。

もちろん息詰まる攻防の時間を、”Desperate”としているのでしょうが、しかし、この映画をブルーカラーとホワイトカラーの対立だと考えた場合に、恒常的に”Desperate”な状況に追い込まれているのは、圧倒的に前者です。Desperate な生活の果てのDesperateな犯罪、そこからのDesperateな脱獄に、Desperateな逃亡。すべてが絶望的な状況の綱渡りなわけです。

その綱渡りの先に、彼らが目指したものは何なのかと言えば、まさに、この押し入った家庭の中で彼らが目のあたりにする、豊かなアメリカン・ライフだったのではないでしょうか。

ボガートの弟は、籠城中でありながら、キッチンでは無邪気にラジオを聴き、また、この家族の美しい娘に仄かな恋心をいだきます。もっともその両方が、彼には手の届かないものであるわけです。弟よりも年嵩のボガートは、それをよく理解しています。(逆に、未だ諦めきれない弟は、その希望故に、やがて命を落とすことになります。)

劇中でもっとも映画的に美しいショットは、脱獄囚たちが追い詰められた後半、床に叩きつけたラジオを蹴り飛ばすボガートの足をクローズアップです。その一瞬のシーンに、この映画の核が表れているように思われます。
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