三四郎

鐘の鳴る丘 第一篇 隆太の巻の三四郎のレビュー・感想・評価

4.6
佐々木監督は『荒城の月』と言い『高原の月』と言い自然を背景としたやさしいヒューマンドラマが素晴らしい。私は佐々木監督作品好きだなぁ。戦前の優しい眼差しの、人間らしい眼差しの大船調をここに見た。

松竹マークが映し出されると「とんがり帽子」が流れてくる!このメロディがいいんだ、聴き入った。
さて、佐田が隆太にバッグをスラれ、追いかける。この追いかけ追いかけられるシーン、カットカットカットが巧妙で非常に迫力がある。
隆太は強がって見せるが、心情を吐露した言葉は…警察署の前で佐田を待ちながら執拗に同じ浮浪児(実は佐田の弟)に朝になるまで ここに泊まっていけよ と言う場面だ。
「おい、泊まっていけよ。…淋しいじゃねぇか」淋しいじゃねぇか この言葉は小さく囁かれ過ぎ去った相手には聞こえない。隆太も聞こえるようには言っておらず、呟いただけだ。だからこそ泣ける。心が締め付けられる。
「あんちゃん、怒ってないかい?本当かい?怒ってないかい? 」留置所から出て来た佐田に謝る。顔を見ずに遠くを見ながら謝る隆太、この演出は深い。素直なのだ、しかし素直になりきるには恥ずかしい、相手の目を見て言うには、子供ながらにプライドもあり、浮浪児として大人たちから蔑まれ、避けられ、冷たい世の中に放り出され生きてきたささくれだった傷ついた心があるのだ。浮浪児たちは…戦争により、焼け跡により、親兄弟を失うことによりあまりに早く、段階を経ずに一気に心だけ大人になった、心に深い傷を負った淋しい大人になってしまったのだ。
仲間が死んだ話で、「苦しいともなんとも言わず朝になったら死んでたんだよ。死ぬって割となんでもないね!」と微笑を浮かべる隆太。この時の佐田の深刻な表情。私は隆太の罪のない微笑を見て「これが戦争だ、人間が人間ではなくなる、普通ではないことを普通と思い、なんでもないと感じてしまう、子供にまでそう思わせてしまう、これが戦争の結果だ」と恐ろしさと哀しさを感じずにはいられなかった。まさに悲劇だ。
さて、お嬢さん、優しい人だな。浮浪児を「さん」付けで呼んでる。
さあ、続篇が早く観たくなるようなラストシーンであった。
三四郎

三四郎