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壬生義士伝のotomisanのレビュー・感想・評価

壬生義士伝(2002年製作の映画)
4.0
 理解なぞ求められてないのだが、死ぬわけにいかないはずがああして死んでおかしくないような振る舞いに及ぶ。佐幕派警護の傭兵ではあるがよもや戦争にまでなろうとは思ったろうか。とはいえ相手は倒幕戦争も眼中のテロリスト、家計のための出稼ぎと割り切るには相手の正義のなさに打たれてしまったのか。
 いくさの主力が鉄砲になって三世紀も経つのに吉村が名乗りを上げて斬り込む姿に盲撃ちで応じた官軍はどれほど狼狽したのだろう。こうした戦を相対のこととして臨む吉村がどう見えるにせよ、突進してくる一士卒に遠巻きな敵しか狙えない弱卒らが怯えたなら小気味よい事だ。しかし、このはなしの要点はそこにはない。
 斬り込みを生還したのは偶然に過ぎないだろうが、おはなしにせよ吉村もあそこでは死ねない。隊が離散した今、南部人のもとで家族への伝手を頼み仕送りを渡さないといけない。そうしてたどり着いた大坂、藩蔵屋敷で支配大野と息子千秋を、彼らを通じて息嘉一郎を吉村の死は突き動かし、大野は秋田藩討伐で、嘉一郎は函館戦争で戦死、ふたりも吉村の何かに打たれたのだろう。残された奸賊大野千秋と娘みつは夫婦となってともに医者となる。
 吉村が大坂にたどり着かなかったら、その結果、大野が佐幕に転じなかったら、嘉一郎、みつ、千秋はどんな一生を送るだろう。孫を持つまで生きあらためて吉村をよみがえらせる斎藤一、日陰者ながら大侠客となった佐助も吉村を知らずにどうなったろう。吉村を思い出すとふとそんな事を考える。

 埼玉の小学校でさえ南部のヤマセの恐ろしさを教える。三年に一度の凶作、七年に一度は大飢饉、口減らしを伝えるデンデラ野や身投げの淵も日常のすぐそばにあった世界で、それを聞いたのがつい半世紀前のこと。そこからさらに一世紀、吉村の時代に見栄に過ぎないかもしれないが白米が日々食えるのは案外大坂蔵屋敷だけだったかもしれない。
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