淀川長治さんと僕とオヤジと②
月曜日の夜にTBSラジオで淀川長治さんの番組があった。
淀川さんが、「イタリア映画は家族、家族、家族ですよ。」て仰っていたのを覚えている。よくこの映画のことを例にあげていらした。
これも、家族団欒で、日曜洋画劇場かなんかで観た記憶がある。
このころ、確か月曜は荻昌弘さん、水曜日は水野晴郎さん、金曜が高島忠夫?そして、日曜洋画劇場が淀川さんって感じで、週3.4回テレビのゴールデンで映画やってた。
他の選択肢がないこともあるが、家族で名画に触れられたことは、心の財産だなって思っている。
もちろん、すぐにレンタルや配信できるけど、家族でちょっと前の名作たちをちゃんと観て、心に溜められた少年時代は、決して文化的に遅れてないなって感じます。
今の子たちは、本人がセレクトするか、大人が見させるかしないと、前世代の例えは若い頃のスピルバーグだったり、ローマの休日だったりを観てないんだよね。
本題に入ろう。
オヤジは「この映画好きだけど、甘いところがある」て言ってたな。
イタリアリアリズム映画【「無防備都市」や「自転車泥棒」等】が最も好きな父は、ややセンチメンタルに流された?的なこの映画はそう感じたのかもしれない。
子供の頃観た僕は、センチぼい終わり方も途中の家族【主に父親】の苦悩も、全部吸収して、感情移入して、入り込んで観た。
人生って終わりがあるんだなあ、なんて漠然とした思いをもって、ラストシーンに見入っていた記憶がある。
家族のために懸命に働き、気がつくと、その家族の一部からも、時代の流れからも取り残されていまった父親。長男との対立など、以降の映画で何度も使われたモチーフの原型がここにある。
健さんの「ぼっぽや」も、この映画のサンドロくんの健気さを引き継いだような「ニューシネマパラダイス」も誕生しなかったかもしれない。
主題歌の哀しいメロディも、ああ、イタリア映画見てるんだなあって、一気にその世界に運んでくれます。