次男

復讐者に憐れみをの次男のレビュー・感想・評価

復讐者に憐れみを(2002年製作の映画)
4.3
一見、ゴア描写的なバイオレンス物に見えながら、その実、「復讐物語」として、そのアプローチとして、こんなに斬新で冒険的なのってあるか。そしてこれを「復讐三部作」の一つ目に据えたこと、が、異常だし、天才的。と思った理由は後述。ただのこじらせ系深読みかもしれないけど…。

これののちに「オールドボーイ」が来て、そののち「クムジャさん」。ああ、この流れまでを込みにして、パクチャヌクの「復讐」へのアプローチなのか、と。

ワンアイデアとは思えないのだけど、えパクチャヌク監督はこのテーマに異常な思い入れでもあるの?

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はじめは、テンポいいなあとか、時間飛ばしとシーン繋ぎ相変わらず天才だなあとか、のんきなことをばかり考えていて、まあまだ本題入ってないもんなあ、なんて。

でも、(悪い意味じゃなく、)そのまま終わった。
グロい描写も少なくないし、凄惨なことが起き続けるのに、我ながら引くほど、泰然と観終わってしまったんだ。

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はたと考え込んで、登場人物の誰にも入らせてもらえなかったことに気付く。ぼくら客に用意された目線が、ワイドショーでその顛末を知るみたいに、異様に客観的。これだけ事件を追ってくれているのに、誰の感情も贔屓させず肩入れさせない。

語弊を恐れず言うなら、なんか、登場人物みんな、馬鹿みたいに見えたんだ。

みんなの動機が、感情じゃなくて、ピタゴラスイッチみたいに、「近親者を殺されたら殺し返す」っていう設定が与えられてるみたいに見えた。身が千切れんばかりの苦悩と衝動があるはずなのに、それをこっちに伝えてくれない。後半に入っても前半のコミカルなテンポ感を変えなかったことで、それを実現してるんだろうな。想像させる行間を、敢えて省いてるような。

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「馬鹿みたい」という言葉を使ったけど、決してこの映画の帰着点は「復讐なんて愚かなこと!」じゃない、と思う。そんな少年漫画の綺麗事みたいなこもじゃなくて、なんだろう、「馬鹿みたいに見えるでしょう?」というか。

「その位置から見たら、馬鹿みたいに見えちゃったでしょう?」
「わかんないでしょう?分かり得ないでしょう?」
「わからないんだよ。当事者以外」

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「復讐三部作」、一部目であるはずの本作をぼくは最後に観てしまったのだけど、続く二本を思い返して、ちょっとぞっとする。

「オールドボーイ」では、「復讐エンターテインメント」よろしく、楽しむことができちゃうことを。

「クムジャさん」では、客とは真逆の精神性の、「復讐に取り憑かれた存在」を。(クムジャさんの感想文にも書いたが、クムジャさんは「復讐する理由が(少)ない」。だから、僕(ら)は同情の目線で彼女に寄り添いきれず、復讐に取り憑かれている様に、狂気ばかり感じてしまう)


一作目で「復讐するやつの気持ちなんか、他人にはわかりえないんだよ」っていう前提を敷いた上で、「だからおまえらは楽しむこともできるし、取り憑かれた人間のことを狂人のようにも思えちゃうんだよ」って言われているような気持ちになった。

パクチャヌク監督は、「わからないんだよ」ってことを、3作6時間かけて、あの手この手で、伝えてきた。ような気がする。


ここまでだってひどく恣意的なぼくの感想だけど、さらに拡大解釈するなら、「わからないんだよ」は、復讐に限ったことじゃない、とも思う。「わかれない」ことを自覚すること。当事者と部外者の差。

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なんか結局この映画じゃなくて三部作全体の感想文になってしまったけど、そんなことはさておき、パクチャヌクは、やはり稀代の天才だと思うのだ。