晴れない空の降らない雨

風と共に去りぬの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

風と共に去りぬ(1939年製作の映画)
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 1939年はどういうわけか、『オズの魔法使』『駅馬車』『スミス都へ行く』『嵐が丘』『コンドル』『ニノチカ』が一度に公開された、驚くべき年である。そして勝利を収めたのが、南北戦争というアメリカ合衆国最大の出来事を背景にした『風と共に去りぬ』だ。MGM製作のこの映画は、予算のつぎこまれた壮麗な歴史絵巻に仕上がっている。
 
 
■悲劇のヒロインか、因果応報か?
 
 第1部の終わり頃には、多くの観客がヴィヴィアン・リー演じる憎たらしい女主人公の境遇に同情し、応援するに至っているだろう。南北戦争を背景にした過酷な状況のもとで彼女に次から次へと降りかかる困難のテンポは、現代っ子の視聴に耐えうるスピード感を映画に与えている。
 アリストテレスがはるか昔に気づいていたように、悲惨な結末のほうが人の心をつよく揺さぶるものである。この洞察は、本作の50年以上後につくられた『タイタニック』でも実証されたのだが、古代ギリシャまで遡るよりは、グリフィス以来の伝統と見なしたほうが無難だろう(あるいはせいぜい大衆演劇のメロドラマ)。実際、彼女を襲う悲劇は後半部にいたって過剰の域であり、それは概ね近代以降の「女性向け」作品に典型的にみられる過剰さと捉えて差し支えない。
 
 しかし映画は、多分に原作が女性の手によることが理由だろうが、スカーレット・オハラを単なる悲劇のヒロインで済ませてはいない。『散りゆく花』のヒロインと違い、彼女は受動的な被害者の地位に甘んずることなく、事態を打開すべく積極的に行為する。だが、彼女が少女時代から見せていたような、高慢、自己中心的、狭量、さらには貞淑ともいえない人格は、そうした行為においてまさに露見する。悪女としてのオハラは、聖女そのものであるメラニーとの対比によって強調されてもいる。さらに映画は、レット・バトラーの愛人の娼婦さえも善人として描くことで、オハラに追い打ちをかけている。
 
 こうした辛辣な描写によって、ヒロインが迎えた結末に対してもう一つの見方が可能となる。つまり、因果応報、自業自得、「いい気味だ」という見方である。この観点からすると本作のヒロインは、典型的な「堕落した女」ということになる。本作に限らず、1930年代のアメリカ映画は、働く女性に対するわだかまりのようなトーンが見え隠れしていないだろうか。それでは、ヴィヴィアン・リーに贈られたアカデミー主演女優賞は、いったい彼女がどのような女性を演じたことを讃えるものだったのだろうか? 独立心をもった強い女性だろうか? それとも?