アニマル泉

次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家のアニマル泉のレビュー・感想・評価

5.0
シリーズの中で本作は静かな詩情あふれる名作となっている。祈りの映画である。冒頭から地蔵に祈る親子だ。広沢虎造の浪曲ではなく、御詠歌がかぶり意表をつかれる。次郎長一家の兇状旅である。お蝶の体調が悪化していくことが本作の通奏低音になっている。いつものエネルギッシュさが無い。行き場がなくて一家が彷徨う森のセットが素晴らしい。石松が片目になって吃りが治る場面は森繁久彌の独壇場だ。一晩だけ民家に泊めてもらった夜、雑魚寝する子分たちが悔しくてドスを抱えて次々と泣く、森繁が歌う、名場面だ。そして本作の白眉の場面は森の中で次郎長と命が短いお蝶を二人にして子分たちが場を外す場面だ。石松と三五郎が次郎長に盃を返す、二人を説得する子分たち、みんなが泣く、二人を殴る芝居をする、そしてお蝶のために笑う、歌う、次郎長とお蝶は子分たちの気遣いが全て判っていて「いい奴らだろう」と泣く。泣く次郎長を背中姿で描く。お蝶だけがアップ。あとは見事なグループショットで切返していく。この一連のマキノ節は唯一無比だ。世界遺産である。
後半は何と言ってもお園(越路吹雪)の登場だ!なんたる色気!そしていい女!「モガンボ」のエヴァ・ガードナーのようなジョン・フォード的なヒロインだ。越路の登場場面は夫・七五郎(山本廉)の帰りを待っていきなり酔っ払う。マキノの描き方が絶品だ。一人酒を背中で飲ませる、そのまま表の方に体をひねり、うなじにハッとさせられる。床へのしなだれ方、酔っ払い芝居の色気、越路が初めての時代劇とは思えない艶やかさだ。何かあると押し切り権現に愚痴を言いながらお百度参りするのが反復される。登場カットで餌を与えていた鶏が一家のもてなしのご馳走になるのが可笑しい。
そして、お蝶の臨終は子分との別れになる。一人一人との涙の別れ、しかし次郎長との別れはない。なんと省略される。快気を願う越路のお百度参りと緒が切れた下駄のアップ、次は時間が飛んで亡くなったお蝶の卒塔婆に黙祷する次郎長一家がシルエットのロングのワンカットで描かれる。続いて初登場の長門裕之が敵襲を越路に知らせる、備える次郎長一家、家の表を久六一家があっという間に取り囲む。この「取り囲み」がマキノの真骨頂だ。「明日に向って撃て!」の神話的なラストシーンへの遙かなる予告編だ。いよいよ大出入り、耐えに耐えた次郎長が遂に、ここでお蝶の位牌を胸に抱き、「お蝶、清水に帰ろう」と斬りこんでいく。これぞマキノ節!
映画は時間で見せる娯楽であり芸術でもある。本作の物語の描き方、何処に時間をかけて何処を飛ばすか、マキノ節は至芸である。何でも説明する現在の映画監督は誰も追いつけない。
予告編が付いている。この最高峰レベルでシリーズが続く凄さに感嘆するばかりだ。
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