タケオ

ゴッド・ブレス・アメリカのタケオのレビュー・感想・評価

ゴッド・ブレス・アメリカ(2011年製作の映画)
4.3
-「激怒系アンチ・ヒーロー」はいつだって「正しい」のだ!『ゴッド・ブレス・アメリカ』(11年)-

 今さら言うまでもなく、我々が生きているこの「社会」とは不条理や残酷に満ちたごみ溜め以下の場所である。世に蔓延る悪徳や不正を前に、行き場のない怒りや無力感を覚える日々。「くそったれ、全員ぶち殺してやる!」と絶叫したくもなる。
 とはいえ、こっちには仕事や生活があるので、今日もまたそんな「社会」に我慢するしかない。多くの人々には、一線を越えられるほどの勇気はないのだ。ゆえに、本作の主人公フランク(ジョエル・マーレイ)のような「激怒系アンチ・ヒーロー」が越えてはならないとされている一線を越えていく姿は、観客に歪んだカタルシスをもたらす。障害者をバカにするオーディション番組、映画館でマナーを守らない客、市民の恐怖を煽る保守系議員、同性愛者を穢らわしい存在だと主張するキリスト教団体などなど、作中でフランクがぶち殺していく相手は、誰しも一度は怒りを覚えたことがある性根の腐った奴ばかりだからだ。「死ぬべきなのは俺じゃない、モラルの欠片もないバカどもが跋扈するこの腐った世界そのものだ!」と叫ぶフランクは単なる狂人ではない。一線を越えられない人々の「怒り」の代弁者でもあるのだ。しかしフランクの怒りの矛先は、やがて社会に「怒り」を覚えながらものうのうと生きていている人々にまで向かい出す。怒りにまかせて一線を越えてしまったフランクからしてみれば、「そういうことになっているから」と「社会」というシステムを受け入れてしまった人々は、モラルの欠片もない性根の腐ったバカどもとまったくの同罪だからだ。「狂人の主観」であるはずのフランクの主張がおおよそ「正しい」というところに、本作の大きな魅力がある。
 世に蔓延る悪徳や不正と真っ正面から対峙するフランクと、「社会」というシステムを前に「怒り」という力を手放してしまった私たち。「果たして真に狂っているのはどちらなのか?」───『マッド・ボンバー』(72年)『タクシードライバー』(76年)『フォーリング・ダウン』(92年)、そして本作の主人公をはじめとした「激怒系アンチヒーロー」たちは、観客にそう問いかけているのである。
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