静かな鳥

つぐないの静かな鳥のレビュー・感想・評価

つぐない(2007年製作の映画)
3.9
なぜ人は「物語」を、そして「虚構」を求めるのか。そういう普遍的な問いと向き合い、「物語」の1つの在り方を改めて思い出させてくれるある種の「物語論」の映画として、心に響いた。

「物語をつくること、語ること」についての物語であって、そのメタ的な構造を示唆するような演出がとても細やかで丁寧。

ファーストカットで映るのは、話の第一幕での舞台となるタリス邸の"ミニチュア"。映画でも小説でも、観客/読者は大抵「神の視点」から物語を見るのであり、それはいわば"ミニチュア"の世界を覗き込んでいるようなものだ。(監督によると、もともとは映画冒頭を"人形劇"で始めるつもりだったらしい)

そこからカメラが移動すると、本作の"(従来の映画より絶対的な)語り手"であるブライオニーが、タイプライターで自作のシナリオを書き終わろうとしている。つまり、彼女は登場人物を意のままに動かす事ができ、どこで「THE END」と物語を終えるかも決められる人物、ということである。

その後、度々繰り返す"時間が巻き戻り、別の人物の視点で再び同じシーンを映す"という構成もフィクショナル。まるで、"神"が時間軸を操っているかのよう。
そもそもこの第一幕は、タリス邸とその周辺で話が展開しきってしまうミニマムなつくりで、それはまるで"舞台"を観ているみたいだ。

他にも、ブライオニーの登場シーンで時々流れる"タイプライターを打つ音"を印象的に使った音楽(場面によって、ジッポーの音やボンネットを叩く音が重なるのが愉しい)、"逆再生"のシーンもある。

そうやって、物語における「神の視点」の存在を意識させる演出を用いて進められる物語は、逆に現実的な要素が多くを占める。そもそも、本作の背景にあるのは戦争という逃れられない、まるで神がいないような「現実」だ。
ノーランの『ダンケルク』でも描かれた当時のダンケルクの海岸を5分に及ぶ長回しで捉えた場面は、圧倒的に生々しい生と死が混沌としている。

このように「フィクショナル」と「現実的」で揺れ動いた話は、終盤でとある反転を迎える。
彼女が行った行為は、確かに自己満足かもしれない。ただ、非情な現実を、受け止めきれない事実を、「物語」は癒すことができるのではないか。「物語」には、そういう役割があるのではないか。二人の戯れる海辺のコテージを見て、そんな風に思う。

終わってしまえば、話の全体像は「ありがち」だと思うのだけれど、本作は味わい深い余韻を残す作品に巧みに仕上がっていると感じた。



書き忘れた諸々
・ブライオニーを演じたシアーシャ・ローナンが素晴らしかった。告発をするときのあの眼差し。自分の理解できる範囲で全ての物事を考えてしまう幼さとか、あの年頃特有の性に対する変な嫌悪感とかを見事に表現していた。
確かに、あの不恰好な「交尾」を見てしまったら…と彼女の気持ちも分かる。

・水のモチーフが映画全体で印象的に使われていた。水に入る、水に飛び込む、水に触れる、溺れる、洪水になる…、そして最後の海辺のコテージ。

・監督のジョー・ライトの最新作は『ウィンストン・チャーチル』なので、ダンケルクが出てきた本作とは不思議な繋がりが。

・ロケーションが美麗で、印象的なショットが多々ある。マカヴォイ含む3人の兵士が草叢を歩いていて、川に戦闘機が映るシーンが個人的にお気に入り。

・カンバーバッチが、ハマり役。
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