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ドライビング Miss デイジーのCureTochanのレビュー・感想・評価

ドライビング Miss デイジー(1989年製作の映画)
4.3
学生の頃に観ていい映画だと思ったので、まぁそれでいいんだけど、見直してみたらいろいろ細部がわかってなかった。ミス・デイジーと、ファーストネームにMr.やMissをつけるのは南部だけにあった奴隷の話し方だそうである。

話は非常に完成度が高いというわけではないのだが、冒険しないバディものといったところで、私の好物のシーンが多い。だが面白いことに、最初から気に入らなかった「ショーシャンクの空に」と似ている。主人公がアスペ的で、モーガン・フリーマンは定型発達の「大人」だと指摘されているのが、本作にもそのまま当てはまる。ミスデイジーは教師で、頑固者で、ユダヤで、映画の最後まで社会的に不器用である。「北の国から」の純が、「やっぱりお前は卑怯だな」と言われたときの痛みを、終盤でホークと喧嘩したミスデイジーに感じる。

ユダヤ人のイメージがアスペっぽいというのは、別に私の意見ではなく、世界的なものだ。だいたい、国がなくてバラバラに住んでいるのに民族や宗教が維持されるということ自体、こだわりが強いというか、こだわりのない人はここで脱落しただろう。トルコ人は全員がイスラム教だそうだが、豚肉でも何でも食べるなど柔軟である(元ユダヤもいるに違いない)。「ベニスの商人」のユダヤ人が金貸し=嫌われるというのは、利息を取ることをキリスト教徒が禁じられていたという都合もあるが、金貸しをずっと続けるには、客に同情することは禁物である。金貸しに向かない人もここで脱落する。そういやユダヤ人ではないが「ショーシャンク」の主人公も銀行員であり、本質的には「ウシジマくん」と変わらない(「スパイダーマン」でコインをかすめ取ろうとする銀行員の描写なんかに、今でも金貸しが嫌われやすいことが現れている)。そうやって嫌われても生き延びたユダヤ人たちは、どんどん優秀かつ豊かになり、地元の人間からしたらヘイトの対象だから大量殺戮された。はじめは親切に彼らを受け入れたドイツ人が、最大の敵になった。映画では差別という意味で黒人と一括りにされる部分があるが、無理やり連れてこられた彼らと一緒にするのは若干、無理があるかもしれない。最もつよい選民思想を持つのはユダヤ教のほうで、他の民族は滅べっていう考えだから揉め事が起こるのだ。

本作のデイジーのせがれは、有能で世知にも長けたビジネスマンとして成功している。だから、これも申し分ない大人である運転手のホークをずっと雇えている。そしてデイジーはというと、変わったのは「黒人」という人種が意識されなくなったホークとの関係だけで、本質的には最初から不器用な人のままだ。でもだからこそ、彼女が時代とともに、亀の歩みでゆっくり差別について学んでいくという映画にできた。これが横糸になって奥行きを生んでいる。無意識の差別。

ただ終わってみると、どうしたって差別も絶対にあるのが世の中なんだな、という結論になる。だってこの3人がうまくいっているのは、優秀だからであり、ひとたび不幸で貧困にあえぐようになればユダヤ教会は爆破されるし黒人は吊るされるからだ。ラストは「アルジャーノンに花束を」みたいで、現実以上でも以下でもない絶妙な塩梅。それがまたいいのだろう。
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