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フランケンシュタインのmasatのレビュー・感想・評価

フランケンシュタイン(1931年製作の映画)
2.4
同年の『魔人ドラキュラ』の偉大さを知る作品だった。妖しく怪しい創造美は、そこにはなく、ボリス・カーロフの異様な表情が残るだけの映画だった。

確かに、人造人間創造ストーリー、それによる人間の過ち、罪と罰、自らの手で作り上げたものに破滅させられる皮肉などのディテールは、後続の作品の礎になっていることは言うまでもない。
しかし、『魔人ドラキュラ』の映像、撮影に比べたら、当時のオーソドックスな明るいハリウッドLOOKで、包み込む様な雰囲気が出ない。
それもその筈、『魔人ドラキュラ』は、ドイツからの亡命者カール・フロイントのカメラ、その光と影が効いている。ヨーロピアンの陰翳が、その映像美が題材と見事に調和し、この世ではないどこか、へ観客を誘うのだ。恐ろしくいかがわしい、かつてない世界、行ったことのない世界、行ってはならない世界へ、だ。

カメラによって、カメラマンのセンスによって、映画は根本から変わる。
それをまじまじと実感した。映画が発明され35年にして、すでに成熟しつつある映画の本性が垣間見られる。

そもそも本企画はロバート・フローレーというフランス人のものであった。
怪奇映画を創りたい!と、戦後、ドイツで映画修行をしたこのフランス人の企画だったのだ。
ユニヴァーサル映画の社長に(何故か)降ろされ、ゲイの監督ジェームズ・ホエールに渡ってしまうが、フローレーの手で、映画化されたらどんなものだったのかに想いを馳せてしまう。

何故かというと、フローレーはその代わり、エドガー・アラン・ポー原作の『モルグ街の殺人』(31)を当てがわれる。そして、カメラマンはカール・フロイントであった。よって、その映像美たるや“陰翳”に富んだ怪しさの極地であった。このフランス人とドイツ人の二人のコンビでフランケンシュタインが映画化されたとしたら、どれほど陰鬱で奇怪で、そして“危険”な映画になったことだろうか。

とは言え、本作は大ヒットを遂げた訳なので、そんな思いは何処へやら、だ。
フローレー=フロイントのコンビで映画化されたとしたら、不滅の映画は完成するだろうが、今日、ホラー映画というジャンルはなかったかもしれない・・・

全ての答は『モルグ街の殺人』という、世にも奇妙な映画の中にある・・・

さて、
どちらにしろ31年にこれらのホラー映画がハリウッドの歴史を変えたのだ。
吸血鬼と人造人間で、ユニヴァーサル映画は一財を成し、ハリウッド最大のスタジオへと登り、映画史に遺る名作を生み出すことになるのだから。絢爛豪華なハリウッドは、こんな怪物たちが、ひと役買い、その礎を作ったのである。ホラー(いかかわしさ)で儲け、(その金で)世界を感動で包み込む・・・そのセオリーも、この時、ハリウッドで始まったのだ。

最後に、
ハリウッドが持て余し気味だった俳優ボリス・カーロフ、彼の起死回生の入魂演技というか表情は、今でも異様で新鮮であった。
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