フランケンシュタインの作品情報・感想・評価・動画配信

「フランケンシュタイン」に投稿された感想・評価

いまい

いまいの感想・評価

3.5
悟空に会える世界線なら幸せだったろうに。
かわいそうね、はっちゃん。
e

eの感想・評価

3.3

メアリ・シェリー原作を読んだので鑑賞。

ドタバタコメディ感があり見やすかった。


原作では、怪物視点で語られる章もある為
怪物の復讐に共感できるけれど、
こちらは主に人間目線で描かれているという印象。
フランケンシュタイン男爵家の子息であるヘンリーは、科学者として人造人間の創造に熱を入れていた。助手とともに墓から掘り起こした遺体を繋ぎ合わせ、さらに人間の脳も使ってついに出来上がったその肉体に、嵐の中の稲妻が撃ち落されたことで生命が宿り、モンスターが動き出すのだが…。

ユニバーサルが誇る古典ホラーの金字塔。1931年、今からなんと90年前の本作が創り上げたモンスターのイメージが今もなお現代に受け継がれているというのは本当に興味深いし、その偉大さを痛感しますよね…!
現代の私たちからするとあまりにもストーリーが有名すぎるがゆえに先の展開が分かってしまうものの、公開当時の観客のはさぞ度肝を抜かれただろうなと…。当時にしてはショッキングな展開もあるし、何よりヒロインの悲鳴があまりに典型的な「キャーーーー!!」なので、誰が観てもあれを聴くと無条件にびっくりしちゃうという(笑)。散々みんなから怖がられて、望んでこのような形に生まれたわけではないモンスターについ同情してしまうなぁ。

オープニングのキャスト一覧の中で、モンスターのところだけ「?」になってるのも秀逸で好き!そもそもメアリー・シェリーが手がけた原作の中ではこのモンスターの見た目に関する記載は具体的じゃなかったそうで、メイクアップアーティストと演じるボリス・カーロフの2人によって創り上げられたキャラクター像。あの平べったい顔、巨体、そしてボルトがねじ込まれた感じ…。何事もパイオニアってすごいなぁ。
近々アメリカではこのボリス・カーロフのドキュメンタリー映画が出てくるそうで、それもぜひ鑑賞したいなと思っています。
akinaki

akinakiの感想・評価

4.0
初見は佐藤有文による「世界妖怪図鑑」。紙上でも、充分怖かった。
まさお

まさおの感想・評価

3.0
ユニバーサルモンスターの古典。
冒頭に映画鑑賞の忠告が入る構成がカッコいい。

怪物が湖で少女と戯れるシーンの美しさと、父親が亡骸を抱えながら歩くシーンとのギャップがグロテスクだった。
誰しもが知るフランケンシュタインの映画
ホラーにカテゴライズされているが、完全にヒューマンドラマだろう
勝手に生み出された怪物が集団リンチに合う物語
女の子からお花をもらうシーンや最後の炎の中でうめき声を上げるシーンは心を掴まれた
masat

masatの感想・評価

2.4
同年の『魔人ドラキュラ』の偉大さを知る作品だった。妖しく怪しい創造美は、そこにはなく、ボリス・カーロフの異様な表情が残るだけの映画だった。

確かに、人造人間創造ストーリー、それによる人間の過ち、罪と罰、自らの手で作り上げたものに破滅させられる皮肉などのディテールは、後続の作品の礎になっていることは言うまでもない。
しかし、『魔人ドラキュラ』の映像、撮影に比べたら、当時のオーソドックスな明るいハリウッドLOOKで、包み込む様な雰囲気が出ない。
それもその筈、『魔人ドラキュラ』は、ドイツからの亡命者カール・フロイントのカメラ、その光と影が効いている。ヨーロピアンの陰翳が、その映像美が題材と見事に調和し、この世ではないどこか、へ観客を誘うのだ。恐ろしくいかがわしい、かつてない世界、行ったことのない世界、行ってはならない世界へ、だ。

カメラによって、カメラマンのセンスによって、映画は根本から変わる。
それをまじまじと実感した。映画が発明され35年にして、すでに成熟しつつある映画の本性が垣間見られる。

そもそも本企画はロバート・フローレーというフランス人のものであった。
怪奇映画を創りたい!と、戦後、ドイツで映画修行をしたこのフランス人の企画だったのだ。
ユニヴァーサル映画の社長に(何故か)降ろされ、ゲイの監督ジェームズ・ホエールに渡ってしまうが、フローレーの手で、映画化されたらどんなものだったのかに想いを馳せてしまう。

何故かというと、フローレーはその代わり、エドガー・アラン・ポー原作の『モルグ街の殺人』(31)を当てがわれる。そして、カメラマンはカール・フロイントであった。よって、その映像美たるや“陰翳”に富んだ怪しさの極地であった。このフランス人とドイツ人の二人のコンビでフランケンシュタインが映画化されたとしたら、どれほど陰鬱で奇怪で、そして“危険”な映画になったことだろうか。

とは言え、本作は大ヒットを遂げた訳なので、そんな思いは何処へやら、だ。
フローレー=フロイントのコンビで映画化されたとしたら、不滅の映画は完成するだろうが、今日、ホラー映画というジャンルはなかったかもしれない・・・

全ての答は『モルグ街の殺人』という、世にも奇妙な映画の中にある・・・

さて、
どちらにしろ31年にこれらのホラー映画がハリウッドの歴史を変えたのだ。
吸血鬼と人造人間で、ユニヴァーサル映画は一財を成し、ハリウッド最大のスタジオへと登り、映画史に遺る名作を生み出すことになるのだから。絢爛豪華なハリウッドは、こんな怪物たちが、ひと役買い、その礎を作ったのである。ホラー(いかかわしさ)で儲け、(その金で)世界を感動で包み込む・・・そのセオリーも、この時、ハリウッドで始まったのだ。

最後に、
ハリウッドが持て余し気味だった俳優ボリス・カーロフ、彼の起死回生の入魂演技というか表情は、今でも異様で新鮮であった。
八咫烏

八咫烏の感想・評価

5.0

このレビューはネタバレを含みます

めっちゃおもろかった。
冒頭の幕の前で「怖いよ〜帰るなら今だよ」と警告してくるが、それは様々見世物の一つとして映画扱われていた時代の見世物小屋を思い出させると同時に、その時代とは違う映画単体として成立し映画も洗練されていた時代にこの演出を敢えてすることで、その見世物性(特にモンスター映画なのでその性質が強い)を際立たせ、かつ観客を怖がらせる効果的な演出であった。のっけから楽しませてくれる。
フランケンシュタインはマッドサイエンティストで狂気ぶりが冒頭から出ている。そして死体から生きたモンスターを創造することに成功した時の「イッツ•アライブ」連呼で絶頂に達する。ところが男爵家の坊ちゃんだと分かると、マッドサイエンティストぶりがどこえやら、暴走すりモンスターてんやわんやしていく。
フランケンシュタインの奇形の助手もなんとも奇妙。当時はやっていた影を使った演出でも、奇形の彼下か照らされてできた影は一番きみ悪くて魅力的である。そして奇形で杖をついてるのにすばしっこい。なんの説明もない彼のキャラクターの奇妙さが作品の序盤の面白さに繋がっていると思う。
フランケンシュタインの狂気ぶりが無くなっていくことを述べたが、その狂気は彼の創造物であるモンスターに移譲したように感じる。モンスターは狂ったように暴れまわようになる。
そしてモンスターは村へ出ていく。そこで少女と出会い、優しくしてくれる少女に心許すようになると思いきや。誤って少女を溺死させてしまい、うろたえる。この時のうろたえや、その後村人に追われておいまれていく様子からみると純心なモンスターの悲哀も感じられ、どこかモンスターに感情が揺さぶられる。
ここでモンスターの狂気がまたしてもどこかにいってしまう。今度はモンスター征討に山狩りにいく怒れる村人たちにその狂気が乗り移ったようである。松明を持った村人の群衆と風車を焼き討ちにする村人一人一人のクロースアップにはその狂気が見て取れる。

モンスターをただのいかれたモンスターとして描くのではなく、人間と人造人間の間に狂気が移り変わっていき、(陳腐な表現だが)人間のなかのモンスター性にも焦点をあてられる。
「イッツアライブ」を連呼するシーン、少女とモンスターが花で遊ぶシーン、少女を抱き抱えながら歩いてくるお父さんのシーンと頭から離れない印象的なシーンが多かった。
娘の亡骸を抱きかかえる茫然自失の父親がいちばん怖い
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