ひろぽん

レイジング・ブルのひろぽんのレビュー・感想・評価

レイジング・ブル(1980年製作の映画)
3.3
1940~50年代に活躍しミドル級チャンピオンにも輝いた実在のボクサーであるジェイク・ラモッタの自伝映画。八百長を強いてくる組織との関係に悩まされながらも栄光を掴んだり、妻・ビッキーやセコンドを務める弟・ジョーイに猜疑心や嫉妬心を募らせ、信頼できる人間が離れていくジェイクの半生を描いた物語。


ブロンクスの怒れる牡牛(レイジング・ブル)の異名を持つプロボクサー・ジェイクの栄光と破滅が描かれる。

モノクロでも試合の壮絶さが伝わってくる美しい血と汗が垂れ流れるシーンや、スローモーションを交えながらの殴り合いのファイトシーンは興奮するほど迫力が凄い!

どんなに強くともタイトルマッチに参加するには賭博をする連中に加担しなくてはならない現実が酷すぎる。勝てる相手でも八百長で負けなければならず、試合後に号泣するジェイクの姿を見るのは辛かった。実力ではなく権力者が全て支配する出来レースの試合のどこに面白みを感じるのか問いたい。

チャンピオンまで駆け上がっていく栄光と、その後衰退して転落していくまでの人生の落差が激しくて見ていられない。

妻であるビッキーと弟のジョーイに猜疑心を抱き、なんでもないことまで執拗に疑い暴力でしか表現できないジェイクの行動には嫌気がさす。妻が不倫しているんじゃないかと弟にまで疑いの目を向けるのは異常な行動だった。

疑心暗鬼で誰のことも信用せず、干渉したり暴力に走る姿を見て妻や弟に愛想つかされるのは当たり前のことだと思う。それでいて、悪びれる様子もなく自分は何も悪くないと言うのだからイカれてるとしか言いようがない。まさに身から出た錆とはこの事。主人公に全くの同情も理解もできなかった。

信用しないと信用して貰えないのは至極真っ当なことで、ドンドン人が離れていく孤高のチャンピオンとはまさに彼のこと。

引退後は人が変わったように穏やかになり好き放題して破滅していくのは自業自得だと思ってしまった。


今作の特筆すべき点はなんと言ってもロバート・デ・ニーロの役者としての体づくり。減量したボクサーの筋肉質な体型から、引退してぶくぶく太った親父体型まで27kgもの増量をして再現する凄さは半端ない。

迫力のある試合とモノクロ映像は味わい深く好きだが、ジェイク・ラモッタのクズな人間性と退屈なドラマ部分は好きになれなかった。

有名な作品で前から気になってて期待しすぎたせいなのかもしれない。想像していたものと大きくかけ離れていた。
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