かーくんとしょー

レイジング・ブルのかーくんとしょーのネタバレレビュー・内容・結末

レイジング・ブル(1980年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

AFIの「偉大なアメリカ映画ベスト100」2007年版でなんと4位にランクインした作品。
上にあるのは「市民ケーン」「ゴッドファーザー」「カサブランカ」のみ。
どんな名作かと楽しみにしていた。

作品外部に先に触れておくと、本作でオスカーを獲得するデ・ニーロの役者魂は見所の一つ。
正直なところ、演技面はいつものイラチなデ・ニーロという印象だったが、役作りの一環での体型変化には、時代を考えれば尚恐れ入る。

さて、本作は、今ではコメディアンに落ちぶれている元ボクシングチャンプ・ジェイクが、出番前の楽屋で過去を回想するところから始まる。
そして、ラストで楽屋のシーンに戻るという典型的な〈枠物語〉だ。
(ちなみに実話モデルの作品。)

この作品がとにかく異質なのは、落ちぶれた主人公が語る回想譚にも関わらず、そこに〈美化〉や〈都合のいい情報取捨〉の色が立ち現れてこないことだ。
前者の例は「アニー・ホール」、後者の例は「華麗なるギャツビー」などが著名。
ジェイクが自分を見捨てた人間たちをこき下ろしたり、過去の栄光を美化したりしない点にオリジナリティーがある。

そして、ジェイクがそんな風になったきっかけには、転落を象徴していた逮捕劇があるように思う。
独房で壁に頭を打ち付けて零れ出る「バカヤロ……」で、彼は目覚めた。
悪かったのは自分だ、と。

その後、結局コメディアンとして生きていくが、そこにはかつてのように何かにすぐ腹を立て、自分に苛立つ姿はない。
ヤジにもめげず、下品な女しか呼べない身の上にもめげず、自分の仕事を全うする。
そんな生まれ変わった彼だからこそ、過去をありのままに見つめて回想することができる。

一方で、疑問を投げかけられるべきはジェイクを取り巻く人々だろう。
弟・ジョーイは、兄のお陰で生活があるにも関わらず、兄のイラチな性格を最もわかっているのに予防策を講じようとしない。
むしろ、兄が嫌う社会の汚い方面にどんどん足を踏み入れていく。
さらには、落ちぶれた兄には遂に見向きもしなかった冷たさ。
むしろあの態度を許せたジェイクの方にこそ、私は心の余裕を読み取った。

妻・ビッキーは、ジェイクを嫉妬禍に陥れる張本人。
ビッキーにはビッキーの論理があり男たちとつるむわけだが、彼女は猜疑心に駆られる夫に対して言葉を尽くそうとしない。
故に、夫婦の問題は負のスパイラルで破滅に向かうしかなくなる。

裏社会のボス・トニーは、言うまでもなく諸悪の根源。
本作を観てジェイクの性格を異常者のように捉える向きがあるが、八百長で失った誇りに涙するジェイクの方が、不器用とはいえ、全くもって立派な人間に思えてならない。

周囲に恵まれず転落を味わったジェイクは、上記のとおり自分の過ちだけを認め、誰かの「罪」も恨むことなく新たな人生を歩き出す。
かつて「盲」であり、何も見えていなかったジェイクも、確かに自分の歩むべき道が「今は見える」。
それが幸せな人生になるか不幸な人生になるかはわからないが、構わないはずだ。
ジェイクは遂に自分の人生の「ボス」になり、自由を手に入れたのだから。
最後の台詞と『新約聖書』の引用が絶妙に効いた結末だった。

余談だが、北野武の「キッズ・リターン」は本作の影響を強く受けているはずだ。
この二つを並べてみると、「俺たちもう終っちゃったのかな」「バカヤロー!まだ何も(後略)」の台詞が一層際立ってくる。

written by K.
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