Kuuta

武士道残酷物語のKuutaのレビュー・感想・評価

武士道残酷物語(1963年製作の映画)
3.6
「所詮自分達だけではどうにもならない」

侍の世から現代まで続く日本人の滅私奉公=社畜魂を、主人公の飯倉家の先祖を辿る7エピソードのオムニバスで描いた作品。

・構成が面白い。冒頭は現代。婚約者の女性が、ある理由から自殺未遂を起こして病院に運ばれる。駆け付けた主人公(中村錦之助)が、先祖が繰り返してきた「残酷」の輪廻、この家の「忠義という呪い」を思い起こす、という導入。

多くの話が「自分は辛い思いをしても、これが子供の未来に繋がるのだ」と美談チックに終わるのだけど、次のエピソードでも結局同じことを繰り返している。時代が進むにつれて「私」が芽生えてくるのかと思ったら、全くそんなことはない。男が身を滅ぼし、女がその代償を払う。変わらない日本社会にゲンナリしてくる。

特に、ポスターにもなっている久太郎のエピソード。彼は目を塞いでも太刀筋の乱れない「闇の太刀」の持ち主(厨二病感あるネーミング)として殿様に賞賛されているが、彼はその力をどのように生かすべきか、思考停止しているので分かっていない。盲目的に振るわれる刀、忠義という暴力は、結局自らの首を絞めることになる。

・日記の記述で話が遡る。手紙や本、書類などそれぞれの時代に残された文字情報が話の軸になる演出。

・どの時代も殿様の顔がとても良かった。人間的な欲にまみれて、目の焦点が合っていない。明治編の元殿様(加藤嘉)怖い…。

・封建制は資本主義に形を変え、今なお労働者を苦しめている。下部構造は何も変わっていないし、あのラストでも、道が開けるようには思えない。日本の醜さを炙り出していく一貫した手つきは、共産党員だった今井正らしいものなのかもしれない。

批判の対象が明確なのは良いが、話運びとしてはやや形式的で、単調に感じられてしまう場面もあった。

特に、武士道と天皇崇拝、戦後日本の「会社」を結びつける終盤の展開は、掘り下げが甘い印象だ。このパートこそが現代につながるポイントなのだから、もう少し丁寧に描いて欲しかった。
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